第二十三話 おじいちゃん観察する
トロールが怒りの咆哮を上げた。
「グオオオオオオオッ!」
四メートルを超える巨体が震え、切断された棍棒を地面へ投げ捨てる。
そして、剣一郎を叩き潰さんとばかりに太い腕を振り上げた。
剣一郎は動かない。
刀を下げたまま、静かにトロールを見上げている。
「剣一郎殿!」
ガレスが叫ぶ。
「奴の傷は再生します! 浅い傷では――」
「分かっておる」
剣一郎は短く答えた。
先ほど騎士たちが放った矢によって生じた傷は、すでに塞がり始めている。
裂かれた胸。
傷ついた肩。
そこから流れていた血さえ、ほとんど止まっていた。
確かに厄介な力だ。
だが――。
「治るからといって、斬られて平気なわけではあるまい」
トロールの腕が振り下ろされた。
剣一郎が動く。
ほんの半歩。
それだけだった。
轟音とともに拳が地面を砕く。
土と石が飛び散る。
そのすぐ横に、剣一郎は立っていた。
「……」
肩。
肘。
腰。
膝。
足首。
相手の巨体を下から上へ観察する。
ガレスには、それが戦っている者の姿には見えなかった。
まるで相手を分析している。
研究者の姿だった。
◇
「グオッ!」
トロールがもう一度腕を振るう。
剣一郎は身を沈めてかわした。
巨腕が頭上を通り過ぎる。
風圧で白髪が揺れる。
だが、剣一郎の視線はトロールの顔ではなく、足元へ向いていた。
(身体が大きければ大きいほど――)
トロールの身体は大きく力は強い。
まともに受ければ、人間など簡単に吹き飛ばされる。
どれほど強い魔物でも。
どれほど大きな身体でも。
立っている以上――。
(足にかかる負荷はその分大きくなる)
剣一郎の目が細くなる。
「なるほどの」
小さく呟いた。
◇
トロールが大きく踏み込んだ。
ズシン!
地面が揺れる。
剣一郎を踏み潰そうと片足を上げる。
「剣一郎殿!」
ガレスが思わず前へ出ようとした。
しかし。
「心配無用」
短い声。
ガレスの足が止まる。
トロールの足が振り下ろされた。
その寸前。
剣一郎が消えた。
「え……?」
悠真の目が見開かれる。
次の瞬間。
剣一郎はトロールの横を駆け抜けていた。
刀が一度だけ閃く。
シュン――。
あまりにも小さな音だった。
一瞬、何も起きなかったように見えた。
だが。
トロールが足を地面へついた瞬間。
「グオッ!?」
巨体が大きく傾いた。
右足首から大量の血が噴き出す。
深く切断された腱が、巨体を支えきれない。
「グアアアアッ!」
トロールが片膝をついた。
ドォン!
地面が揺れる。
「足を……!」
騎士の一人が声を上げる。
ガレスも目を見開いた。
「再生する前に、体勢を……!」
ようやく剣一郎の狙いを理解した。
傷はいずれ治る。
ならばーー
◇
トロールの足首では、すでに傷が塞がり始めていた。
だが、瞬時に元通りになるわけではない。
数秒。
それだけあれば十分だった。
剣一郎が地面を蹴る。
倒れ込んだことで、遥か頭上にあったトロールの首が一気に近付く。
トロールもそれに気付いた。
「グオオッ!」
腕を振り回し、剣一郎を払い落とそうとする。
しかし遅い。
剣一郎は振るわれた腕の内側へ潜り込む。
一歩。
さらに一歩。
そして、首筋へ視線を定めた。
刀を両手で構える。
悠真が息を呑んだ。
剣一郎の姿勢が変わった。
今までとは違う。
ただ静かに。
鋭く。
一本の刃そのものになったかのようだった。
「――いざ、参る。」
一閃。
銀色の軌跡が走った。
音さえ遅れて届いた。
剣一郎はすでにトロールの背後へ抜けている。
「……」
静寂。
トロールが動きを止めた。
首に細い線が浮かぶ。
次の瞬間。
その巨体から頭部が滑り落ちた。
ドサッ。
続いて。
ズズン――!
首を失った巨体が地面へ倒れる。
土煙が大きく舞い上がった。
◇
誰も声を出せなかった。
再生するはずのトロール。
何人もの熟練騎士でさえ苦戦する魔物。
それが。
わずか二太刀。
足首。
そして首。
それだけで終わった。
悠真は口を半開きにしたまま、祖父を見つめている。
「……」
美咲も言葉を失っていた。
ガレスも同じだった。
相手の全身を見て。
最も崩しやすい場所を斬り。
体勢が崩れた一瞬に致命傷を与えた。
(これが……)
ガレスの背中に震えが走る。
(剣一郎殿の剣……。)
◇
剣一郎は刀についた血を振り払い、静かに鞘へ納めた。
「さて」
周囲を見渡す。
村ではまだ戦いが続いている。
オーガ。
ブラックファング。
ゴブリン。
ウルフ。
そして、避難を続ける村人たち。
「何をぼうっとしておる」
剣一郎の言葉で騎士たちが我に返った。
「まだ終わっておらんぞ」
ガレスもすぐに表情を引き締める。
「第一騎士団!」
「残る魔物を排除!」
「第二騎士団は住民の避難を継続!」
「負傷者を救護所へ運べ!」
「はっ!」
騎士たちが再び動き出した。
◇
悠真も剣を握り直した。
祖父の戦いを見て、改めて思う。
速かった。
強かった。
だが、それ以上に――。
「相手を観察して戦ってるんだ……」
相手が巨大だから力で対抗するのではない。
再生するから何度も斬るのでもない。
どうすれば最小限の動きで倒せるか。
それを一瞬で見抜く。
隣に立ったガレスが静かに言った。
「力だけではありません」
「剣一郎殿は、戦いそのものを知っているのでしょう」
悠真は祖父の背中を見つめながら、強く頷いた。
その時だった。
「団長!」
北側を警戒していた騎士が駆け込んでくる。
「森から新手です!」
ガレスが振り返る。
「数は!」
「まだ分かりません!」
「ですが……様子がおかしいのです」
「何?」
騎士は森を振り返った。
「こちらへ襲いかかってこない」
「まるで――」
一瞬、言葉に詰まる。
「こちらの戦いを見ているような……」
剣一郎が静かに北の森へ目を向けた。
木々の奥。
暗闇の中で、赤い光が一つ灯った。
続いて二つ。
三つ。
四つ。
複数の気配。
だが、動かない。
剣一郎の目が細くなる。
「……なるほどのう」
ガレスが尋ねる。
「何か分かりますか」
「いや」
剣一郎は刀の柄へ手を添える。
「分からんからこそ――」
森の奥を見据えた。
「厄介じゃな」
戦いは、まだ終わっていなかった。




