第一話 巻き込まれたおじいちゃん
三人は神崎家を出て、商店街へ向かう。
歩くたびに、近所の人々が剣一郎へ声を掛けてきた。
「先生、おはようございます!」
「今日も素振りですか!」
「お孫さん、大きくなりましたね」
剣一郎は軽く会釈を返すだけだった。
その姿を見た美咲が尋ねる。
「剣一郎さん、本当に人気者ですね」
「昔、少し剣術を教えていたからのう」
「人との縁は、一日でできるものではない」
その言葉に、美咲は静かに頷いた。
商店街へ入ると、八百屋の店主が手を振る。
「先生! 今日はスイカが安いですよ!」
「今日は買い物があるのでな」
「また今度にする」
魚屋の主人も笑顔で頭を下げる。
「先生、この前は孫がありがとうございました!」
「礼には及ばん」
悠真は苦笑する。
「じいちゃん、どこ行っても知り合いだな」
「長く生きておれば、自然とそうなる」
「俺も七十歳になったらこうなるのかな」
「今のお前では難しいのう」
「ひどっ!」
三人は笑いながら商店街を駅に向かって歩いていた、その時だった。
「きゃっ!」
女性の悲鳴が辺りに響く。
「ど、泥棒ーっ!」
一人の若い男が女性のバッグを抱え、人混みをかき分けながらこちらへ走ってくる。
「どけっ!」
男は行く手の人々を突き飛ばし、一直線に逃げてきた。
周囲の人々は突然の出来事に足を止めるだけで、誰も動けない。
「じいちゃん!」
悠真が反射的に飛び出そうとした、その瞬間。
「動くな」
低い声が響く。
剣一郎は一歩だけ前へ出た。
逃げてくる男との距離は十メートル。
男は老人の姿を見ると鼻で笑う。
「邪魔だ、ジジイ!」
勢いのまま突っ込んでくる。
剣一郎は慌てない。
男の重心。
視線。
足の運び。
一瞬で見極める。
そして男が腕を振り上げた瞬間――。
半歩だけ身体を開いた。
「なっ!?」
男の腕を軽く流し、足をわずかに払う。
それだけだった。
男の身体は勢いそのまま前方へ投げ出され、
「ぐあっ!」
石畳へ顔から倒れ込んだ。
バッグが宙を舞う。
剣一郎は片手でそれを受け止める。
動きはあまりにも自然で、まるで最初からそうなることが決まっていたかのようだった。
男は慌てて立ち上がろうとする。
しかし次の瞬間には、剣一郎の手が肩へ置かれていた。
「痛っ!」
ほんの少し力を込められただけで、男は膝をつく。
「暴れるでない」
静かな一言。
それだけで男は動けなくなった。
「先生!」
近くにいた警察官が駆け寄ってくる。
「ありがとうございます!」
「いや、大した事ではない」
剣一郎はバッグを女性へ返した。
「怪我はありませんかな」
「は、はい……」
女性は何度も頭を下げる。
「本当にありがとうございました!」
悠真は目を丸くしていた。
「じいちゃん……今、何したの?」
「転ばせただけじゃ」
「いやいや、全然見えなかったんだけど!」
美咲も驚いた表情で頷く。
「私も……」
剣一郎は二人へ静かに向き直る。
「覚えておけ」
「力任せに止めようとすれば、相手も自分も傷つく」
「大切なのは、相手の力を見極めることじゃ」
悠真は倒れている男を見てから、祖父を見上げた。
「……やっぱりじいちゃん、すごい」
「誰かを助ける時ほど、冷静になれ」
「……分かった」
悠真は素直に頷いた。
それが剣一郎の教えだった。
強さとは力ではない。
守るためには、まず状況を見極めること。
それを幼い頃から教え続けてきた。
やがて三人は駅前へ到着する。
ショッピングモールを眺めながら悠真が笑う。
「まず新しいスニーカーを見に行こう!」
「その前に昼飯じゃろ」
「えぇ~」
「美咲さんは何が食べたい?」
「私は何でも」
そんな他愛のない会話を交わしていた、その時だった。
ふっ、と風が止んだ。
「……?」
悠真が空を見上げる。
さっきまで鳴いていた蝉が、一斉に鳴き止んでいた。
人々は歩いている。
車も走っている。
しかし音だけが、世界から消えている。
「じいちゃん」
「何か変じゃない?」
剣一郎はゆっくり周囲を見回した。
長年鍛え上げた勘が告げる。
――何かが来る。
「悠真」
「美咲さん」
「二人とも、わしの近くへ」
その声には、これまでにない緊張感があった。
二人は無言で従う。
次の瞬間。
三人の足元へ青白い光が走る。
一本の線が石畳を這い、複雑な紋様を描き始めた。
「な、何これ!?」
悠真が叫ぶ。
巨大な魔法陣が完成し、三人を包み込む。
光は急速に強さを増し、周囲の景色が歪み始めた。
「じいちゃん!」
「手を離すな!」
剣一郎は悠真と美咲の手を掴む。
「何があっても離れるな!」
「うん!」
「分かった!」
三人は互いの手を強く握り締めた。
眩い光が視界を埋め尽くす。
世界が白く染まり、足元の感覚が消えていく。
剣一郎、悠真、美咲の三人の姿は誰にも気づかれる事なく、忽然と消えていた。




