プロローグ
人は歴史を語る。
だが、それが必ずしも真実とは限らない。
千年という時は英雄を伝説へ、真実を神話へと変え、やがて都合の良い物語だけを後世へ残す。
今を生きる人々は知らない。
この世界が、かつて一度滅びかけたことを。
そして、その滅亡を食い止めた者たちの本当の姿を。
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大陸の中央には、天を貫く一本の巨樹がそびえ立っている。
世界樹エルディアス。
黄金の葉から零れる光は世界中へマナを巡らせ、その恵みを地上のあまねく生命に分け与えていた。
人々は世界樹を敬い、その加護を信じて暮らしていた。
しかし近年、その光はわずかに陰り始めている。
そして、それに呼応するように各地で魔物が狂暴化し、その被害を広げていた。
人々は口々に噂した。
「魔王が動き始めた」
「魔王領で何かが起きている」
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世界樹の東に位置するアルディア王国。
王城最深部『星見の神殿』
夜空を閉じ込めたような蒼い水晶が天井を覆い、白亜の柱には勇者の姿が彫られている。
神殿中央に浮かぶ一つの宝珠。
星渡りの宝珠。
異世界へ道を開き、勇者を召喚する世界唯一の神器。
その輝きは、千年という長い眠りから、ようやく目覚めようとしていた。
宮廷魔導師長は宝珠を見上げ、静かに頭を垂れる。
「陛下」
「宝珠の完全覚醒を確認いたしました」
玉座の前に立つ国王アルフレッドは、小さく頷いた。
「これで異世界の勇者を招く事ができるのだな」
「はい」
「宝珠が自然に力を取り戻し回復するには約千年の時を要する」
「伝承どおりであれば、今回が二度目の勇者召喚となります」
神殿に集まる魔導師たちの表情には、緊張と期待が入り混じっていた。
千年に一度しか訪れない奇跡。
失敗は許されない。
アルフレッドは静かに宝珠へ視線を向ける。
「世界を救うため、勇者の力が必要だ」
しかし同時に、王として別の思惑も抱いていた。
アルフレッドは静かに手を掲げた。
「勇者召喚を開始せよ」
百名を超える宮廷魔導師が一斉に杖を掲げる。
古代語の詠唱が神殿を震わせる。
巨大な魔法陣が黄金色に輝き始めた。
星渡りの宝珠は眩い蒼い光を放ち、その光は天井を突き抜け、世界の外側へと伸びていく。
千年ぶりの奇跡が、始まった。
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世界樹の西。
人類が魔王領と呼ぶ広大な土地。
黒曜石で築かれた古城、その地下深く。
巨大な封印門の前で、小柄な少女が腕を組みながら唸っていた。
「うぅぅ……またなのじゃ……」
腰まで届く真紅の長い髪が、黒い外套の上で揺れる。
額には二本の小さな黒角。
十代前半ほどの見た目の少女。
しかし、その赤い瞳だけは何百年という歳月を生きた深さを宿していた。
現魔王――レオノーラ。
「どうして毎回こうなるのじゃ!」
「余が昨日修復したばかりなのじゃぞ!」
封印門の一部から黒い瘴気が漏れ出している。
少女は頬を膨らませながら、杖で石門を軽く叩いた。
「もう少し頑張るのじゃ!」
もちろん、封印は返事をしない。
「返事くらいするのじゃ!」
「……陛下」
後ろから老執事が静かに咳払いをした。
「封印は喋りません」
レオノーラはぴたりと動きを止めた。
「そんなことはわかっておるのじゃ!」
執事は慣れた様子で深く一礼する。
「北方の封印地帯でも瘴気の濃度が上昇しております」
「魔物の狂暴化も止まりませぬ」
レオノーラの表情が変わる。
先ほどまでの幼さは消え、王としての顔になる。
「被害は」
「二つの村が避難を」
「討伐隊にも少なからず被害が出ました」
少女は目を伏せた。
「……そうか」
短い沈黙。
やがて真っ直ぐ顔を上げる。
「封印術師を増員するのじゃ」
「騎士団は封印地帯を最優先」
「御意」
命令を終えると、少女は再び封印門を見上げた。
そして小さく呟く。
「もう少しだけ……耐えるのじゃ」
その声は、誰にも届かない。
⸻
同じ頃、日本。
夏の朝。
蝉の声が響く静かな住宅街。
古びた道場では、一人の老人が木刀を振っていた。
ヒュン――。
風を切る音だけが静寂を裂く。
「九百九十九」
「千」
最後の一太刀を終えた老人は静かに息を整える。
神崎剣一郎。
七十歳。
短く整えた白髪に、深い皺を刻んだ顔。
細身の体つきながら鍛え上げられた身体、背筋は真っ直ぐに伸び、その立ち姿には少しの隙もない。
白い作務衣に濃紺の袴という質素な装いだが、長年鍛え続けた武人だけが持つ静かな威厳を漂わせていた。
かつて剣聖と呼ばれた男。
その時、道場の扉が勢いよく開いた。
「じいちゃーーん!」
高校二年生の孫・悠真が飛び込んでくる。
「まだ終わらないの?」
「今終わった」
「じゃあ早く行こう!」
「美咲が待ってるって!」
剣一郎は木刀を納める。
「騒がしいのう、それに道場に入る前には一礼をせんか」
「はいはい」
「返事は一度」
「……はい」
そのやり取りを見て、入口に立つ朝倉美咲が小さく笑った。
「今日も仲がいいですね。」
「どこがじゃ」
「どこがだよ」
祖父と孫の声が揃う。
美咲はさらに笑みを深めた。
三人まだ知らない。
この何気ない夏の日が、元の世界で過ごす最後の日になることを。
そして千年ぶりに目覚めた奇跡が、勇者だけではなく、一人の老剣士と、一人の少女までも選んだ理由を。
運命の歯車は、静かに回り始めていた。




