第十七話 おじいちゃんと兄妹
ブラックファングが倒れた草地には、重い静寂が流れていた。
先ほどまで荒々しく唸っていた魔物は、今は二つに分かれたまま動かない。
ガレスは剣一郎の傍らまで歩み寄り、ブラックファングの亡骸を見下ろした。
「間違いありません……ブラックファングです」
騎士たちも息を呑む。
「こんな場所に現れるはずがない……」
新人騎士の訓練区域に生息するのは、ゴブリンや小型の魔物がほとんどだ。
ブラックファングのような魔物は、本来もっと深い森や山岳地帯に棲む。
エルドも険しい表情を浮かべる。
「原因は分かりませんが、放置できる事態ではありませんな」
その間、剣一郎はゆっくりと兄妹へ歩み寄った。
「怪我はないか」
兄は震えながらも頷いた。
「は、はい……」
妹はまだ涙を流しながら兄の背中へ隠れている。
剣一郎はゆっくりと腰を下ろし、二人と目線を合わせた。
「もう大丈夫じゃ」
その一言で張り詰めていた糸が切れたのだろう。
妹は兄へしがみつき、再び大声で泣き始めた。
「うわぁぁぁん……!」
兄は妹の肩を抱き寄せながら何度も頭を下げる。
「助けていただいて、本当にありがとうございました!」
「僕はレオといいます。妹はリナです」
「わしは神崎剣一郎じゃ」
悠真と美咲も笑顔で名乗った。
少し落ち着きを取り戻したレオは、小さな籠を差し出す。
「母さんが熱を出して寝込んでいるんです」
「村には薬師がいなく、お金もなくて……白葉草を採りに来ました」
籠の中には、数本の白葉草が入っていた。
エルドは優しく頷く。
「確かに熱を下げる薬の材料になります」
「ですが、この森へ子どもだけで入るのは危険です」
レオは申し訳なさそうに俯いた。
「……ごめんなさい」
剣一郎は穏やかな口調で続けた。
「母親を思う気持ちは立派じゃ」
レオは顔を上げる。
「だからといって、二人が命を落としてしまえば、お母さんはもっと悲しむ」
その言葉に、レオは唇を噛み締めた。
「……はい」
「困った時は、一人で何とかしようとせず、大人を頼るんじゃ」
「じゃが、妹を守らんと魔物に立ち向かうその勇気はあっぱれじゃ。良い兄をもったのう」
リナは涙を拭きながら元気よく頷く。
「うん!」
剣一郎は二人の頭を優しく撫でた。
「それでよい」
ガレスも兄妹へ歩み寄る。
「安心するが良い」
「王都には優秀な薬師がおる」
「事情は私から説明しよう」
レオは目を丸くした。
「本当ですか?」
「ああ」
「二人の母親の薬も用意してもらう」
兄妹は何度も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
◇
一行は王都への帰路についた。
森を歩く間も、騎士たちは周囲への警戒を怠らない。
ガレスはふと剣一郎へ尋ねた。
「剣一郎殿」
「あのブラックファングについて、何かお気付きのことはありますか」
剣一郎は少し考え、静かに答えた。
「偶然あの場所に来たわけではなさそうじゃ」
「何かから逃げておるように見えた」
ガレスとエルドは顔を見合わせる。
「逃げていた……」
「もしそうなら、ブラックファングを追い立てる存在がいたことになります」
エルドの表情はさらに険しくなった。
「考え過ぎであれば良いのですが……」
その言葉に誰も返事をしなかった。
森を吹き抜ける風だけが、不気味に木々を揺らしていた。
◇
夕暮れ前、一行は無事に王都へ到着した。
兄妹はすぐに王城の薬師のもとへ案内される。
薬師は事情を聞くと、すぐさま薬の調合を始めた。
「明日の朝には薬を届けられるでしょう」
その言葉を聞いたレオは涙ぐみながら深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
リナも剣一郎の服の裾をそっと掴む。
「おじいちゃん」
剣一郎はしゃがみ込む。
「何じゃ」
「助けてくれて、ありがとう」
小さな笑顔だった。
剣一郎は小さく頷いた。
「礼を言われることではない」
「困っておる者を助けるのは当たり前じゃ」
ガレスはその姿を静かに見つめていた。
あれほどの剣を持ちながら、それを誇ることもない。
強さとは力ではなく、生き方なのだと改めて感じるのだった。
――その頃、王城では、この日の出来事が国王へ報告されようとしていた。




