第十六話 おじいちゃん一閃
一行が森を進み始めてしばらく経った頃だった。
ガレスは倒したゴブリンの痕跡を確認しながら周囲を見回す。
「この辺りの魔物は、先ほどのようなゴブリンが中心です」
「新人騎士の訓練にも使われるほど危険は低い地域です」
悠真は少し緊張が解けたように息を吐いた。
その時だった。
剣一郎の足が止まる。
「……」
耳を澄ます。
風の音。
木々のざわめき。
そして――。
「いやぁっ!」
幼い少女の悲鳴。
森の奥から聞こえてきた。
剣一郎の目が鋭くなる。
「子どもの声じゃ。」
言葉を言い終えるより早く、剣一郎は駆け出していた。
「剣一郎殿!」
ガレスも後を追う。
騎士たちも一斉に走り出す。
◇
木々を抜けた先の小さな草地。
そこには兄妹と思しき十歳ほどの少年と、六歳ほどの少女がいた。
妹は泣きながら兄の後ろへ隠れている。
兄は震える手で小さな鎌を構えていた。
「来るな!」
必死の叫び。
その前には、一頭の巨大な魔物が立っていた。
全身を黒い体毛に覆われた狼のような体躯。
普通の狼の数倍以上はある巨体。
獲物を見つめる真っ赤な瞳。
鋭い牙からは唾液が滴っている。
ガレスの表情が変わった。
「ブラックファング……!」
エルドも息を呑む。
「馬鹿な……」
「この森に現れる魔物ではありません!」
ブラックファングが地面を蹴った。
一瞬で兄妹との距離を詰める。
「危ない!」
ガレスが叫ぶ。
間に合わない。
誰もがそう思った。
次の瞬間だった。
ヒュン――。
風が鳴った。
誰かが駆け抜けた気配だけが残る。
ブラックファングの動きが止まった。
一拍遅れて。
ズルリ、と音を立てる。
魔物の首が地面へ滑り落ちた。
鮮血が草地を染める。
静寂。
その場にいた誰もが動けなかった。
魔物の前には、一人の老人が立っていた。
神崎剣一郎。
静かに血を払い、剣を鞘へ納める。
それだけだった。
「……え?」
悠真は目を見開く。
美咲も言葉を失う。
何が起きたのか理解できない。
ガレスだけが、ようやく息を吐いた。
(見えなかった……)
騎士団長である自分ですら。
抜刀も。
踏み込みも。
斬撃も。
何一つ見えなかった。
エルドが呆然と呟く。
「一太刀……」
「たった一太刀で……」
剣一郎は兄妹へ歩み寄る。
「怪我はないかのう」
兄は震えながら頷いた。
「お、お母さんの薬草を……取りに来て……」
妹は涙を流したまま兄へしがみつく。
「母が病気なんです……」
剣一郎はしゃがみ込み、二人と目線を合わせた。
「もう大丈夫じゃ。ようがんばった」
その一言で、兄妹は堰を切ったように泣き出した。
ガレスはブラックファングの亡骸を調べる。
「間違いありません」
「ブラックファングです」
「しかし、なぜこんな場所に……」
エルドの表情も険しくなる。
「王都近郊で確認された記録はありません」
剣一郎は静かに森の奥を見る。
「一頭だけではないかもしれん」
その言葉に、騎士たちの空気が変わる。
ガレスはすぐに命じた。
「周囲を警戒!」
「兄妹を王都へ護送する!」
騎士たちが一斉に動き出す。
その中で、悠真は祖父の背中を見つめていた。
毎日黙々と素振りを続ける老人。
穏やかで、静かな祖父。
しかし、その背中は今、誰よりも大きく見えた。
ガレスは剣一郎の横顔を見る。
(たとえ身体強化をしていたとしても、あのような動きはあり得ない)
(一体、何者なのだこの老人は……)
森を吹き抜ける風だけが、その答えを知っているかのように静かに木々を揺らしていた。




