第50話
「じゃあ、乾杯だよ。……アキちゃんに、かんぱーい」
カン、カンとグラスが鳴る。
間を空けず、料理が運ばれてきた。
酒と肴と、たわいもない雑談。
若き日の、あの頃を思い出す。
ハクビは現在、東北商人グループに属する別の商人の商館で、事務仕事をしているそうだ。
年齢的にスタッフという形ではなく、嘱託の形だと言うが、ミカゲには違いがよく分からない。
ミカゲは、オシロとムーバーの様子をそれとなく見る。
二人は、ハクビの様子をうかがっているようだった。
今日の集まりの目的を、ある程度知っているのかもしれない。
料理はそこそこ美味かった。
デザートのフルーツも良い感じだと思う。
あの切り方は、後で調べておこう。
「みんな、腹は一杯になったかな。へべれけになる前に、そろそろ本題に入ろうか」
ミカゲは、嫌な予感が当たったと感じた。
ハクビはカバンから書類を引っ張り出し、三人に渡す。
ハルの商会のデータだ。
ここ十年ほどの推移が、分かりやすくまとまっている。
「さっきも話したけど、私は今、東北商人グループの商人さんに仕えていまして。この手の情報にアクセスできるのです」
ハル商会に所属する採取師の数。
年間の鉱石量。
売り上げ。
その他、細かな数字の数々。
ミカゲは表を見ながら、疑問と怒りが湧いてきた。
明らかに、利益が上がっていない。
あれだけの商圏を抱える商会にしては、アキ時代の半分にも届いていない様子だ。
しかも、緩やかに右肩下がりである。
ムーバーが、老眼鏡越しにレポートを見ながらつぶやく。
「こいつら、山、掘ってないん、か?」
「採取師の数が、圧倒的に足りていないんです。定着率が悪いし、育成もうまくいっていない」
「このままじゃ、山が腐っていく一方だぞ」
「ですね。掘れる鉱石があるのに、手近で楽な場所ばかり掘っている印象です」
「宝の持ち腐れじゃないか。ハルの野郎、何考えているんだ?」
オシロが、手酌でビールをコップに注ぎ、一気に飲み干す。
「ハルは、採取師関連の運用をすべて採取師頭目に押しつけて、放置しているという噂です」
「何だって」
「彼は、緩やかな自殺でも考えているのですかね。よく分かりませんが」
ハクビは、そこで言葉を切った。
「それよりも」
「それよりも?」
「クロエが、グループ総帥になりました」
◆ ◆ ◆
ハクビが眼鏡を整えながら続ける。
「ハルの商会がこうなった要因として、私たち0期生が辞めたことで、多数の採取師も同時に辞めてしまった……という影響はあると思います」
「ま、まあ、俺も、あのまま、続けるの辛かったし、そう言われても、困る」
「はい、ムーバー。私にも反省点はあります」
ハクビは、背筋を伸ばして言った。
「それでも、十年近くかけても復旧できないのは、ハルの怠慢かなと思います」
ハクビは、書類に指を置く。
「このままでは、ハルの商会は数年後には破産します。そうなれば、グループ内の慣習として、内部の商人たちが介入してくるでしょう。商圏の奪い合いです」
そして、静かに続けた。
「その筆頭は、クロエでしょう」
十年頑張れと、クロエが言っていた。
ミカゲは、それを聞いたことを思い出す。
そういう意味だったのか?
違和感を覚えた。
だが、総帥の立場になったクロエなら、倒産した商会の整理には乗り出すだろう。
「私は、みんなで山の中を歩き回り、探し出した鉱山を。アキちゃんに託した鉱山を」
ハクビは、唇を強く結んだ。
「クロエのような男に奪われたくありません」
誰も、何も言わなかった。
「これは本来継承すべき、ハルアキ坊ちゃんに渡したい」
オシロが首を傾げる。
「しかし、坊ちゃんに渡すといっても、どうするんだよ。会社は傾いていて、採取師は定着していない。商人個人の経営には、他人は非介入ってのがグループの鉄則だったろう、確か」
ハクビの顔がこわばる。
次の言葉を言うか言わないか、迷っているように見えた。
ミカゲは、今日この場に来るんじゃなかったと後悔しはじめた。
「私はね、みなさん。……結構、真面目に生きてきたつもりです」
ハクビは、目の前のコップを見下ろした。
「アキちゃんが大好きになって、彼女の夢である商人になる手伝いを、死ぬ思いでやった」
「……」
「彼女が結婚した時は……それはショックでした。ただ、彼女は結婚しても本質は変わらなかった。それだけが救いだった」
ハクビの声が、わずかに震えた。
「でも、彼女は……いなくなった」
「……」
「私の心の柱が、へし折れました。だから逃げてしまった」
ハクビは、目の前のコップのビールを一気に飲み干す。
「リーダーのモーリも、すぐに死んでしまった。私を褒めてくれる人は……みな、いなくなった」
「……」
「……私も、今度七十だ。そう考えるとね。私の人生は何だったのかって、毎晩……眠れないんですよ」
「……」
「逃げてしまった後悔や、ハルの奴への怒りや……そういうものもあります」
ハクビは、三人を見た。
「でも、最後の一仕事で、アキちゃんの忘れ形見のハルアキ坊ちゃんに、私らの山を託したい。……そこから、どうすればいいか考えたのです」
若い頃はモーリの片腕として、名参謀と呼ばれたハクビ。
自分の本音など絶対に見せず、飄々としていたハクビ。
そのハクビが、こんなに暗い感情を露わにして話すのを、ミカゲは初めて見た。
軽い恐怖を感じていた。
「今から言うことについて、あなたたちは私のことを……軽蔑するかもしれません」
ハクビは、少しだけ笑った。
「ただ、もう老いた私にできることは少なく、……これ以上の考えも思いつきませんでした」
「な、なんだよ。ハクビ。……何言いだすんだよ」
「ハルの商会の鉱山を盗掘し、ハルの評判を落とします」
その場の空気が止まった。
「そして、倒産前に坊ちゃんに代替わりをさせ、彼に盗掘した鉱石を丸ごと返します」




