第2話
クロエから持ち込まれる依頼は、バネッサにとって、毎回面倒なものばかりだった。
前々回は、「学園潜入調査」。
前回は、「ギフト持ちの子供の調査」。
採取師の仕事としては、どちらもかなり特殊な調査依頼である。
特に学園調査の際には、高校生の制服を着て潜入するという、非常に気恥ずかしい任務を遂行する羽目になった。
確かに、その仕事の報酬で、経営の厳しかったうどん屋を立て直せたのは事実だ。
だが、今のバネッサには「冷やしうどん」がある。
夏の期間限定メニューは大成功。
店は、開店以来の大盛況。
だから今回は、どんな面倒な話を持ち込まれようとも、断るつもりでいた。
話を聞く振りだけして、丁重にお帰りいただく。
……そのつもりだった。
「バネッサさん。まずはこちらをご覧ください」
アキラがノートPCをテーブルに置いた。
画面に表示されたのは、バネッサのうどん屋の経営状態をまとめたグラフだった。
──え、ちょっと待ってください。どこからこんな情報を?
思わず声に出そうになったが、バネッサはこらえた。
ここで反応すれば、相手のペースに巻き込まれる。
アキラはちらりとバネッサを見た。
だが、すぐに画面へ視線を戻し、淡々と説明を続ける。
寒い時期は売り上げが高い。
しかし、原価も高く、利益率は低い。
現在は冷やしうどんの好調で持ち直しているように見える。
だが、それは夏の一時的な伸びに過ぎない。
秋に入れば、売り上げは再び低迷する。
アキラはグラフの線を指先でなぞり、そこで一度、言葉を区切った。
「ですので……このままだと、半年後には、うどん屋は破綻します」
申し訳なさそうな声だった。
どこからこの情報を持ってきたのか。
その怒りは、もちろんある。
だが同時に、バネッサ自身が内心で抱えていた不安を、真正面から射抜かれてもいた。
これが、この人たちの追い詰め方だ。
バネッサは何も言えず、俯いた。
「バネッサさん」
アキラの声は、少しだけ柔らかくなった。
「あなたのおうどん、本当に美味しいです」
「……ありがとう、ございます」
「ただ、提供価格が安すぎます。正直、現在の倍くらいでもいいと、私は思います」
「でも、でも……」
「お気持ちは分かります。お客様にお安く提供したい。その志は、間違っていません」
「……」
「ただ、データを拝見したところ……ええと、ですね」
アキラが、少し言いにくそうに視線を泳がせた。
「……な、なんですか」
アキラはPCの画面を指さした。
「はっきり言います。お出汁の研究開発費が高すぎます」
バネッサは、日々、出汁の研究に取り組んでいる。
日本各地からさまざまな素材を取り寄せ、新しい味を探求していた。
それ自体は悪いことではない。
だが、少々度が過ぎている。
原価率が高くなっている原因の多くは、そこにあった。
さらに、多くの材料を近くのスーパーで購入している点。
仕入れ先が安定していない点。
限定メニューが好評なのに、季節後の導線が用意されていない点。
アキラは、問題点を一つずつ並べていく。
一通り説明を終えると、困ったように微笑んだ。
店の外から、子供たちの笑い声が聞こえた。
夏の午後の、明るい声だった。
クロエが、静かに口を開く。
「バネッサさん。多分、察しているかと思いますが、今回、私たちはあなたに依頼したい仕事があります」
「……はい。そうでしょうね」
「そしてこの依頼は、あなたの店を救う可能性がある」
バネッサは顔を上げた。
クロエは、いつもの穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その目は商人のものだった。
「私はね、あなたのうどんのファンなんです。店が潰れると、私も悲しい」
「……」
「資金援助も、考えなくはありません。ですが、私も商人の端くれです。利益を生まない店舗に、ただ資金を入れるだけというのは、私の方針に反します」
クロエは湯飲みに指を添えた。
「それに、何より、あなたのためにならない」
バネッサは黙って聞いていた。
「なので、私は考えました。付け焼き刃のように仕事をしてもらい、その都度報酬を払うよりも、根本的な問題を解決した方がいいのではないか、と」
「……」
「大変勝手ながら、あなたの店を調べさせてもらいました。結果は、概ね想像していた通りでしたが」
アキラは微笑を浮かべたまま、心の中で少し呆れていた。
──格好つけて理屈を言っているけど。
結局、支援したいだけでしょう。
クロエ社長は、相変わらずバネッサさんに甘い。
バネッサさんを追い込む役をやらされている、こっちの身にもなってほしいものです。
「ただ、問題の解決にあたって、私が現在抱えている案件と、重なる部分があることが分かりました」
クロエは、バネッサを見る。
「詳しい話を、聞いてもらえますか。バネッサさん」
バネッサはしばらく黙っていた。
断るつもりだった。
今度こそ、絶対に断るつもりだった。
けれど、目の前のグラフは消えてくれない。
半年後という言葉も、耳の奥に残っている。
バネッサは、力なく頷いた。




