第17話 点景「クロエとハル」
「ご無沙汰してしまって、すみません。アキさん」
高台の墓地。
遠くで鳥の声がする。
カモメだろうか。
先ほどまでは暑かったが、夕暮れ前の潮風は心地よい。
アキの墓の前で、クロエは手袋を外した。
線香をあげ、両手を合わせる。
墓地の端まで歩けば、海が見える。
海岸線の先には、ハルの商館が見えた。
バネッサとは、あそこで別れたばかりだ。
人見知りの彼女は、ハルとうまくやれるだろうか。
◆ ◆ ◆
三十年ほど前。
クロエは、伸び悩んでいた。
帳簿処理や物流など、知識と技術の面では、同世代の中でもトップクラス。
商圏さえ手に入れれば、独立できるだけの実力はあった。
だが、その商圏が作れない。
商圏とは、魔法鉱石が採れる鉱山の集合体である。
鉱山を開拓するには、採取師の協力が必要だった。
しかし、この時期のクロエには、協力してくれる採取師がいなかった。
人間力を表に出すことが、苦手だったのだ。
クロエの師匠は言った。
「ありていに言えば、クロエ。お前さんは、愛嬌が足りないんだよ」
「愛嬌と言われましても。にこにこして頭を下げれば良いのですか」
「違う違う。そういうとこだよ、クロエ」
同世代の中には、すでに商圏を獲得し、独立している商人もいる。
三十歳を過ぎても独立できずにいるクロエは、焦っていた。
◆ ◆ ◆
師匠から、修行のために「氷姫」の二つ名を持つ商人のところへ行けと言われた。
東北商人グループに、新しく参加したばかりの女商人だという。
クロエは言われた通り、その商会へやって来た。
だが、正直面白くなかった。
氷姫は、自分と同い年なのだ。
名前は、アキと言うらしい。
商売は、鉱石と海産物が中心。
堅実な経営と強い営業力が売りで、若い頃から注目株だったそうだ。
アキのオフィスで、初対面する。
同い年の女性に師事することには、少々思うところがあった。
それでも、ここは素直に頭を下げて挨拶する。
黒い髪を、固く結い上げている。
理知的な印象の眼鏡。
グラマラスな身体に、黒のビジネススーツ。
綺麗で落ち着いた声。
冷静で正確なやり取り。
仕事のできるビジネスウーマン。
そのものだった。
クロエは、今回の研修に関する契約書を読み上げる。
「……この作業費全般を、賃金として計算する」
「ぶっ」
クロエが書類から顔を上げると、アキ社長が顔を赤くして下を向いていた。
「あの……アキ社長?」
しばらく、彼女はふるふると震えていた。
そして、爆発した。
「あははははは。クロエ君、お〇んちんとか言わないで!」
「え、言ってないです。そんなこと!」
「あははは。あーははははは。『作業費全般お〇んちん』だって。あー、お腹痛い」
何なんだ、この女は。
クロエは困惑して、何も言えなかった。
◆ ◆ ◆
アキは、色々と不思議で、複雑な女性だった。
見た目はクールビューティ。
中身は、極度の笑い上戸。
独特なビジネススタイルで商売をする、期待のルーキー。
旦那はゴリラ。
一児の母。
旦那のハルは、三十歳で漁師から商人見習いに転職したという、珍しい経歴の男だった。
クロエは最初、ハルはアキの財産でも狙っているのではないかと疑った。
しかし、夫婦に食事へ誘われた際、アキから経緯を聞き、ハルへの評価は反転する。
子育てや商館の後継者問題があり、結婚を機に、ハルに漁師をやめて商人の世界へ入ることをお願いしたのは、妻であるアキだった。
海は、陸よりも危険が多い。
彼女に寄り添うと誓ったハルは、漁師のキャリアを捨て、この道に入った。
色々と複雑な夫婦だった。
それでもクロエは、だんだんと二人が好きになっていった。
◆ ◆ ◆
アキは、採取師にも商売相手にも大人気だった。
クールビューティの大爆発。
華麗なギャップ萌え。
どの現場に行っても、アキの話題は好意的なものばかりだった。
クロエも最初は、計算なのかと思っていた。
だが、どうやら素なのだろう。
そして、商売においては、誠実かつ大胆な手腕を持っていた。
特に、採取師の生活環境まで気にかけ、彼ら向けに格安の宿舎まで用意した。
かつて「オールド・ルーキー」ギルが目指し、成し遂げた「採取師のための商人」に近い立ち回り。
採取師からの人気は、心酔の域にまで高まった。
クロエには、そこまで真似はできない。
それでも、考え方の軸を学んだ。
ただ、天才であるがゆえか、アキは商人を育てるのは下手だったようだ。
なかなか後継者が育たない。
愚直なハルが、次期二代目と言われていた。
だがハル自身は、自分にその力はないと否定していた。
ハルは非転生者社会向けの海産物関連の商売には強い。
その一方で、採掘方面は弱い。
さらに、ハルは互助会の出身だった。
互助会出身者は、商人と採取師から敬遠される風潮がある。
このため、採取師から見たハルの評判は、良いものではなかった。
アキの人気の反動も、あったのだろう。
◆ ◆ ◆
アキは四十七歳で、子宮がんと診断される。
手術により、一時的には治った。
だがその後、転移し、五十歳でこの世を去った。
死ぬ前に、アキはハルに商会を引き継いでほしいと懇願した。
ハルは了承するしかなかった。
妻が一生をかけて育ててきた商館は、彼女の子供のようなものだった。
葬式の後、クロエはハルと酒を飲んだ。
「クロエ。俺にはやっぱり無理だ。商会なんて運営できるわけがねえ」
「お前、葬式で引き継ぐって言っただろう、ハル。しっかりしろ。いつもの適当なお前はどうした」
「採取師が半分以上、契約更新しないって言ってどっか行った。このままじゃ商圏が維持できねえよ」
「俺もまだ力はない。だが、できるだけ手助けする。下を向くな。アキさんの商会を潰すなよ」
「……でも俺には、このまま十年も持たせる気がしねえよ」
クロエは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「分かった。俺はこの十年以内に、グループの総帥になる」
ハルが顔を上げる。
「そしたら全面的にバックアップする。だから、それまで頑張れよ」




