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さようなら、メリーさん(4)

 メリーさんからのミッション。

 その一。論文の送信。

 メリーさんの部屋に入ってラップトップパソコンを立ち上げる。

 パスワードは、文化系クラブ棟の守護神のお付きの動物の名前と、プランク定数の最初の五桁。

 これは簡単だ。picota66260。pikotaではない。スペイン語の柱状の「さらし台」から来ているネタなのだ。アニメを見ていた人ならわかる。

 よし、入れた。

 続いてメールソフトのパスワード。

 これはおそらくmay27182だ。後半はネイピア数――自然対数の底だ。

 入れた。

 送り先が入った書きかけのメールがある。あとは送るだけ、と言っていたから多分これだろう。

 画面をスクロールして「send」のボタンをクリックする。

「Transmission Completed」の表示が出る。

「受信されました」的なメールが二通返ってきた。これでよし!

 私はそっとパソコンの蓋をしめた。

 その二。お婆ちゃんの家に行って家捜し。

 これは明日だ。

 みんなとの初詣は行けないけど、親友の危機なんだから仕方がない。

 私は自宅に戻ると動悸が収まらないままベッドに入ったのだった。


 翌朝、新快速で姫路駅に向かった。播但線に乗り換えて一時間、私が高校まですごした田舎町へとつく。

 瀕死の状態でかろうじて生きているような町。駅前にはやっているのかやっているのかわからない宿屋。少し行くと地元のスーパーがある。地元の人しか知らないであろう記念館。バスは一日数本しかない。

 高速道路の下をくぐって舗装がぼろぼろになった一本道を行く。

 駅から徒歩十五分。立地条件は悪くはないのだが、おそらく買い手はつかないであろう土地。そこにお婆ちゃんの家はあった。

 なんでこんな場所が相続争いでもめるんだろう。こんな場所もらっても何の使い道もない――そればかりか税金が出ていくだけだ。

 荒れ果てた畑を横目に、先へと進む。

 拾った枝で周囲を叩くのは蜘蛛の巣対策だ。イノシシ対策でもある。

 お婆ちゃんの家につく。

 家の周りには数台の車が止まっていた。反対側の自動車道を来たのだろう。

……親族が、集まっている!?

 胸のえづきとともに逃げ出したい気持ちがこみ上げてくる。

……でも、ここは肝の据えどころだ。なんとか乗り越えて実家での一泊を勝ち取るのだ。

「和らぎ染めたるかけはしの、雪氷(せっぴょう)融けもいたすらん、つれなき玉緒のいつまでも、絶えざる事はあらすらめ」

 自然と歌が口をついて出てくる。どこで聴いた歌だったろうか。メリーさんがよく歌っていたが、こんな感じだったんだろうな。

 私は、京都に行ってずっと抱いてきた人形の感触がないことを寂しく思う。

 メリー・ウィンチェスター、心の支えにしていたビスクドール。今回連れて来なかったのは、親族に奪われるのをおそれてのことだ。あの人たちは、金になる物は一つとして私に渡す気はないのだから。

「ちがーう!」

 私は思わず大声を上げた。

 現実が侵食されかけている。

 メリーさんは怪異だけど実在する。今、京都の拘置所につかまって、私の助けを待っているのだ。しっかりしなくては!

「たのもー!」

 私は実家の引き戸を叩いた。

 誰が乗り移ったのだろう。山伏になった気分だ。婆ちゃんが、この地方では戦前にはこう挨拶していたと教えてくれた。

「はいはい」

 叔母が扉を開けた。

 そして、私を見て驚いたように言った。

「おんとのサツキちゃんやないの。まあ、お久しぶりな」

 ()()()、という言い方には、どこか差別的な響きがある。頭のネジがぶっ飛んだ人、神がかりの人、ふらふらと外に出ていく人、果てはホラ吹き。陰陽師から来ている言葉だとお婆ちゃんは言っていた。たまに「あたしも()()()さぁ」と寂しげに言っていたものだ。

「さあさあ、あがってあがって」

 叔母さんは、村の外から嫁に来た人だ。だから私へのあたりはきつくはない。幸先の良さにちょっと涙ぐむ。

「おおっ、珍しい人が来たのう」

 叔父が声をかける。上座の伯父は、すでに出来上がっているのか赤い顔で大きな盃を空けている。霧島一族の今の当主だ。

 甥に姪たち。大体が、小中と同じ学区で顔見知りである。中には私をいじめていた子もいる。今は何食わぬ顔で役所や農協に勤めていたりする。

「おけましておめでとうござります。本年もよろしゅうにおたのみいたします」

 婆ちゃんに教えられたとおり、閉じた扇を前に置いて、平伏して挨拶する。そして、部屋の隅にひかえる。座布団は出されてもことわる。茶や酒には手を触れず、水ですます。それが()()()のあり方だ。

 おんとには一つだけ利点がある。何もしなくていいことだ。叔母や姪たちは忙しく立ち働いている。けど、私は何も触れてはいけない。調理や配膳に手も口も出してはいけないのだ。

「ようお帰り。正月のお祝いや。飲みぃ」

 伯父が声をかける。

 盃台に載った、お屠蘇の入った盃が回されてくる。これは、口をつけてもよい。いや、むしろ飲み干さなくてはならない。

 私は、三度に分けて盃を飲み干す。

「いやはや、めでためでた!」

「ほな、祝言(しゅうげん)の一つも述べてもらいましょか」

 盃を持ってきた伯母がすすめる。

 私の仕事はここでめでたい口上を述べることだ。興が乗れば踊ってもいい。子供の頃はあらかじめ覚えていた口上を述べていたが、だんだんアレンジがきくようになった。そして、今の私は大学で――というかミステリー研で学んだ知識がある。

「和らぎ染めたるかけはしの、雪氷せっぴょう融けもいたすらん、つれなき玉緒のいつまでも、絶えざる事はあらすらめ」

 まずはひとふし。宮中の歌会始(うたかいはじめ)のように引き延ばして歌う。

「ほぉ!」

「みごとみごと」

 感嘆の声が上がる。

「さらに一声!」

「神あそびの一句を!」

「まひらくとのぐれつれをのべた。をらふくのりかりがみわたとのりかみをのべた。をらふくのりかりがこし、とわよとみをのべた。をらふくのりかりが」

 今度は沈黙があたりを支配した。

 ここで臆してはならない。私は、京都美大の誰かが作曲した節回しに変えて歌い上げる。

「まひらくとのぐれつれをのべた。をらふくのりかりがみわたとのりかみをのべた。をらふくのりかりがこし、とわよとみをのべた。をらふくのりかりがまひらくとのぐれつれをのべた。をらふくのりかりがみわたとのりかみをのべた。をらふくのりかりがこし、とわよとみをのべた。をらふくのりかりが……」

 扇を開いて立ち上がり舞い踊る。

 我ながらクソ度胸がついたものだ。イメージしているのは、高歌放吟して夜の町を歩くメリーさんだ。

 拍手が起きる。

「ようも大成なされた!」

「よっ、あっぱれ名優!」

「こりゃ高崎播磨の再来じゃ!」

 高崎播磨というのは、元禄時代にいた播州歌舞伎の名人だ。播磨国(はりまのくに)以西の陰陽師の支配役でもあった。元々は神職で、素人歌舞伎に凝って興業をしていた。あちこちに呼ばれるので土御門家から役職を買い、土御門家の紋がついた高提灯をかかげて関所での通行自在を獲得した。京都の陰陽道の本所をたぶらかして通行権をぶんどったので地元のヒーローなのだ。ちなみに、播磨の近辺では安倍晴明のかたきである蘆屋道満が尊敬されていて、土御門家に一泡吹かせた高崎播磨がヒーローとなっているのだ。

「さすがは京大に行かれただれのことはありますな」

 叔父の一言でさらにざわめきが広がる。京都広域大学に進学したことは、一族には伏せていたのだ。学費の出所をつつかれると面倒だから。合格発表も、お婆ちゃんが亡くなる前後の慌ただしい時期だったので今日がお披露目の機会となった。

 ひとしきり大学の話でもりあがる。なかでも甥や姪には根掘り葉掘り大学生活について()かれた。せきそろ事件の顛末を話すと、目をキラキラさせていた。

「さあさ、召し上がれ」

 立派なお膳が運ばれてくる。もう卑屈になる必要はない。私はすすめられた座布団にすわり、お重から取り分けられたおせち料理をいただく。そして、求めに応じては座興の歌を歌い、あるいは踊りを披露し、場を沸かせる。

 生前のお婆ちゃんがおどけてみせていた時は、なんと卑しい扱いなのだと内心腹を立てていたのだが、実際にやってみるとこれはこれで楽しい。ハレの日の盛り上げ役なのだ。

 こうして私は一介の ()()()から、一人前の()()()へと変身した。


 その夜は当然のように自分の部屋で眠った。

 さすがに正月祝いの席で遺産の話は出なかった。私の一族の中での地位ががらりとかわった、ということもあるだろうが、そもそも松の内はそういう話はしないのが礼儀だ。

 翌朝、私は蔵――というか、倉庫の中をあさりまわった。

 メリーさんのパスポートは、奥の奥にある桐製の木箱に入っていた。次は大阪の領事館だ。

 シャワーを浴びて着替えをすませた私は、播但線の駅へと向かった。

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