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さようなら、メリーさん(2)

 気がつくと、私は衝立の影の長椅子に寝かされていた。ここに入ったのは初めての経験だ。長椅子が差し向かいになっていて、床には使う宛のなさそうな雑物がいてある。

 会長が心配そうに見ている。

「無理に動かない方がいい」

「え、ええ」

 言葉に甘えてそのまま横になっている。

「寧々君に来てもらうことにした。男女二人っきりで部室、というのはどうにも落ち着かないんでね」

 会長は、紳士だ。

 あ、でも、いつもは澪さんと二人っきりでいたりするよね…… 二人の間には何かあるのかな。

 なんて事を考えていると、ノックの音がした。

「こんにちは。おけましておめでとーございます。今年もよろしゅうおたのもうしますー」

 寧々さんのはんなりした声が聞えてきた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。さて、さっそくで悪いのだが、さつきくんの様子をきいてやってほしいのだ。男性では聞きにくいこともあるしね。僕は少し散歩してくる」

「はい。おまかせください」

 どうやら会長は私が生理的な原因で貧血を起こしたと思ったらしい。

……まあ、気分としてはそんな感じなのだけど。

「寧々さん、わざわざすみません」

 私は上体を起こす。

「ううん、ええんよ。元日は旅館もお休みやし」

 と言う割には、しっかりと振り袖姿だ。何か用事があったのだろう。

「メリーさんがいなくなっちゃって」

「大変やったね。あの子、可愛がってはったものねぇ。早く見つかるとええんやけど」

……やはり、現実が改変されている。それともこれは「ガス灯効果」というやつだろうか。周りの皆がそろって「お前はおかしい」と言い続けると、当人も自分がおかしいと思い込んでしまう現象。『ガス灯』という昔の映画に由来する心理学の用語だ。

「あの、寧々さん。贅沢言って申し訳ないんですけど、うちまで送ってもらえます?」

「うん、ええよ。きっちり送り届けるね」

 私たちは、玄関でタバコを吸っている会長に挨拶してからタクシーを拾った。

……へーえ、あの人、タバコ吸うんだ。

 初めて知ったことの二つ目だった。


 マンションの玄関を入ろうとすると、エレベーターホールの床一面に黄色い粉が撒かれていた。サフランだろうか。お香のようなにおいがする。その奥には、インド風の神像が何枚も貼られていた。

「えらい治安の悪いとこやねえ」

 寧々さん、さすがに鼻白(はなしら)む。

「ふだんはこんなことないんですよ」

 すると、階段を外国人の一団が降りてきた。真ん中にいるのは小太りの女性――あのマングース飼っていた女だ。額に赤い模様を描いて、サリーを着ている。その後ろには、何人かの男性がお盆をささげ持っている。真ん中には、なんと! 花に囲まれた豚の頭が載っていた。

「何をしているんですか!」

 私は思わず詰問した。声がうわずる。

「新年ノオイワイ!」

 女性が悪びれた様子もなく答える。

 そして、男性たちが何かを床に置いた豚の頭を中心にして渦を巻くように広げはじめた。

 どこの国の物かわからない紙幣の束に火をつけ、渦の端に置く。

 バチバチバチ!

 ものすごい破裂音が響いた。

「ハリー・ハラー! ハリー・ハラー!」

 男たちが大声をあげて踊り始めた。

「通してもらえませんか!」

「ダメ。儀式中。礼拝ボウガイザイ、刑法第百八十八条、一年以下ノ拘禁刑マタハ十万円以下ノ罰金」

「ああああ、ここを塞がれると中に入れないのですけど」

「チョト待ツトイイ。儀式、スグニオワル」

 マングース女は、ペットボトルに入った何かを豚の頭にふりかけている。油だろうか、火が燃え上がる。いくらコンクリートの建物とはいえ、これでは放火と同じじゃないか!

「こりゃ、さつきはんも病むわ」と寧々さん。

 そして、私を引っ張ってマンションの外に出る。

 即座に警察に通報。

 数分後、警官がかけつけたのだった。

……お正月早々、ご苦労様です!


 警官が来たのはよかったのだが、またしても「礼拝ボウガイザイ」の押し問答が始まった。ハリーハラーの連中は踊りまくるし、いつの間にか野次馬も増えている。私たちは寒い屋外で早くエレベーターにだとりつきたい。けど、警官は「危険だから」と言って通してくれない。

「このマンション、ずっとこんな調子なの?」と寧々さん。

「ううん。ここ半年くらいは静かだったんだけど」

 そう、あの日、メリーさんが大裏へのトタンの扉を開いて以降、このマンションは静かだった。

 おそらく、バーベキューをしていた連中は大裏に閉じ込められていたのだろう。短い安寧の日々だった。

 ピーポーピーポー……

 新たなサイレン音がして、特大の真っ黒な乗用車がマンション前の道に入ってきた。幅だけでなく高さもけっこうある。

 少し行きすぎてから停車した。後ろの扉がウィーンと音を立てて跳ね上がり、それとともに銀色の昇降機が出てくる。

 車椅子の女性が降りてきた。銀髪ロングの美人だ。

「京都地検特捜部のカシマです。通して下さい」

 お付きの人が車椅子を押して、もう一人が野次馬をかき分ける。いわゆるメンインブラックの様相だ。

 警官が敬礼する。ピキーン、という効果音が入る感じだ。

 現場を一瞥したカシマ検察官は、言い放つ。

「刑法百八条、現住建造物等放火。現行犯逮捕しなさい」

 警官はすぐに動く。

 外国人たちが「シンキョウノ自由ダ」とか「外交モンダイダ」とか文句を言うが、検事はビシリと言った。

「シャラップ! 出所したばかりでもうこの騒ぎ、本当に度しがたい連中ね。終身刑にするわよ!」

……え? 終身刑って日本にそんな刑罰なかったよね!?

 警官も苦笑している。

 そして、検察官は私の方に向き直ると言った。

「あなたが霧島彩月(きりしまさつき)さんね。ちょっとお話を聞きたいんだけど、いいかしら」


 私の部屋は冷凍庫の中のように冷えていた。……ストーブ焚いてないとこれなんよ。

「私は京都地方検非違使(けびいし)庁特捜部検事、カシマレイコです」

 横にいる寧々さんと顔を見合わせる。

 この時代に検非違使庁って何ぞや……

 カシマさんはカラーの名刺を見せる。鹿島礼子と書いてある。横には顔写真と勲章っぽい紋章が入っている。

 私たちが確認したところで、すっ、と引っ込める。

「これはお渡しできません。悪用されるといけないので」

……ごもっともです。

「えっと、ここが殺人現場――失礼、メリー・ウィンチェスターが殺人鬼を処分した場所ね」

「はい」

 嘘をつけない雰囲気、というか圧力を感じる。

「場所は?」

 私はベッドを指さす。

 可哀想に、寧々さんはおろおろするばかりだ。

 メンインブラックたちが、ベッドの下の段ボール箱を引き出し、床をブラックライトか何かで照らす。血の痕跡を探しているのだろう。日本刀の切っ先の跡しか残っていないはずだ。あの熊さん連中の仕事が完璧なら。

「何もありません」

「でしょうね。さすが、メリー・ウィンチェスター、ぬかりはないわね」

 おそるおそるたずねる。

「メリーさんが何か」

「怪異名、うしろのメリーさん。殺人鬼だと言われつつ、絶対に証拠はつかませない。米国の魔界探偵の資格所持。ミスカトニック大学大学院満期退学。……日本に戻ってきたのが間違いだったわね。殺人罪の時効はもうないの」

「えっと、怪異殺しは殺人罪に入るのでしょうか」

「怪異は殺せると思う?」

 鹿島さんは凄惨な笑みを浮かべる。

「でも、あの子、人も殺しているのよね。何人も」

 薄々そんな気はしていた。平気で銃をぶっ放すし、敵に回すとこわそうだ。

 けど、メリーさんは無差別に人を殺すような性格ではない。誰かを守るために、あるいは起こりうる犯罪を防ぐために人知れず動いたのではないだろうか。それによって生かされた命はもっと多いと思う。

……そう信じたい。

「えっと。メリーさんの部屋を見せてもらえるかしら」

「は?」

 ここのどこに部屋が、と首をかしげる。

「今のメリーの部屋のオーナーはあなたよ。どこかに鍵があるはず。ダメ元で探してみて。大切な物を入れている引き出しの奥とか」

 もうどうにでもなれ、という感じだった。

 通帳やハンコを入れている引き出しを開く。

 かき回していると……あった。

 メリーさんの部屋番号がついた鍵が。

「鼻白む」の読み方は『日本国語大辞典』にも用例が出ているとおり「はなしらむ」でいいのです。

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