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牛鬼記念館(1)

 秋の日暮れは寂しさをより深める。そんな寂寞(せきばく)感から逃れようと部室に遊びに来た私は、誰もいない部屋で暇を持てあましていた。

 ふと思いついて本棚の貴重書コーナーをあさってみる。大体は何語で書かれたかもわからない海外の博物館の図録や、カリカリに硬化した今にも剥がれ落ちそうな革表紙の本だ。が、たまにマンガも混じっていたりする。

 そんな中の比較的新しそうな一冊を手にした私は、表紙を見た瞬間、いわく言いがたい恐怖を覚えた。

 何とも禍々しい絵柄。感覚をさかなでする色使い。

……これは本物だ!

 著者は長谷川牛鬼――ホラーマンガのプロ、という感じだ。思わずカバーの折り返しの著者近影を見る。意外なことに、鬼の仮面をのせた可愛いアルパカの肖像が描かれていた。

 一気に読み終える。徹頭徹尾、禍々しい話だ。ここまでえげつない話を読んだのは久しぶりだった。茶壺道中で運ばれる芋虫状になった奥女中。もてあそばれるろくろっ首の女。自分の罪業を思うことなく無邪気に殺人を続けるサイコパスの少女。作者は女に恨みでもあるのかと思うほどの作風だ。

 がたがた、と扉の音がした。

 びくっとする私。

「やあ、早いね」

 会長だった。

 軽いあいさつの後、話題は自然と手元の漫画本に移った。

「長谷川牛鬼(ぎゅうき)か。なつかしいな」と会長。

「なつかしい?」

「ああ。牛鬼君は僕の同期だ。二回生でマンガ家としてデビューした。が、ある時、突然、命を絶ってしまった」

「そんなことが……」

「ただし、他殺説もいまだ根強く残っている。というのは……」

 その時、廊下から変な歌が聞えてきた。メリーさんだ。

「京都三条愛宕道~ 露の命の捨て所~♪」

 バタン!

「こんばんは。メリー・ウィンチェスター、ただ今参上でーす!」

 どうやら三条と参上をかけた渾身のギャグだったらしい。ぽかんとする会長と私を前に、しばらく間を置いてから恥ずかしそうにうつむく。そして「……何か事件が?」ととりつくろう。

「あー、少し前に亡くなったマンガ家の話をしていたんだ」

 会長はおもむろに話し始めた。


 長谷川牛鬼。著作は五冊。うちマンガはこの一冊。残りの四冊は短編小説集――それも、死後に出版されたものだという。なぜそんなことが起きたのかというと、著者の死後に完成した小説が編集部に送られてきたのだ。その小説には確かに、長谷川牛鬼自身の手によるマンガの下描きが添えられていた。差出人は一切不明。印税は長谷川牛鬼の遺族に送ってほしい、と書かれていた。

 編集部は苦慮した。描きかけのマンガ――いわゆるネーム段階のものでは出版はできない。ことわりなく他のマンガ家に描かせるわけにも行かない。が、故人の遺志は尊重したい。というわけで、遺族と交渉した結果、長谷川牛鬼名義で小説として発表することにしたのだとか。そして、送られてきたネームは全て遺族に返却された。

「死因は何だったの?」メリーさんがたずねた。

「住んでいたマンションからの飛び降りだ。そして、死体は首から先が消えていた」

「うわっ、マンガみたい!」と私。

 飛び降り自殺は他の入居者にも悪影響が出る。痕跡を清掃する人の作業も大変そうだ。

「ああ。ただ、台風が来た夜だったので、後片付けはほぼしなくてよかったらしい。警察は、たまたま電線で首が切り離されたのだろうと見ている。嵐の夜に亡くなったのは、牛鬼君なりの配慮だったのか、それとも牛鬼君が別の場所で殺されて首から下がどこかから投げ落とされたのか」

 とんでもない怪事件だった。

 スマホをいじっていたメリーさんが言った。

「……地図に、牛鬼記念館ってあるけど、ここかな」

「えっ?」

 会長と私の声がハモった。


「確かにここだ。牛鬼君が住んでいたマンションだ」

 会長が断言した。

「来たことがあるんですか」と私。

「ああ。大学に入ってしばらくは遊びに来ていた。何せうちにはテレビがなかったからな。主にテレビを見ながらだべっていた。そのうち牛鬼君は漫研に入って、本格的にマンガを描き始めた。僕も、創作の邪魔になっては、と遠慮するようになった」

「凄い! 配慮できる大人なのです!」とメリーさん。

……はいはい、悪うございましたよ。マンガを読みにお隣りに入りびたって。

 エレベーターで最上階に向かう。古くて陰気な感じがするマンションだ。ホラーマンガ家にはぴったりの棲み家かもしれない。

 何気ないマンションの一室。表札は「長谷川」になっている。そこの扉には「牛鬼記念館」と書いた大きめのマグネットシートが貼られていた。チャイムを鳴らすと「どうぞお入り下さい」という男の人の声が聞えた。

 玄関には長谷川牛鬼の自画像そのものの、子供の背丈ほどのパネルが置いてあった。手前にはトイレや浴室の扉があり、その向こうに受付がある。

 そこにはカラーシャツを着た初老のおじさんが坐っていた。髪はすっかり白くなっていて、あまり手入れはされてなさそうだ。

 私たちは、それぞれの財布から僅かな入館料を支払い、中に入る。

「ファンの方ですか」

「はい」

 アマリ会長は予断を持たせないよう最小限の返事をする。探偵みたいだ。

 受付を越えた向こうは、ほぼ棚になっている。同人誌の表紙が並んでいて、同人誌即売会のカタログも何冊かあった。絵柄は、長谷川牛鬼の物だ。きっと、即売会のスタッフに頼まれて描いたのだろう。その奥の部屋は立入禁止になっていて、製図台が乗った机と描きかけのマンガがあった。周りにもスチール製の棚があって、様々な資料が押し込められていた。

「これが、絶筆ですか」

「はい。牛鬼が亡くなった当日をそのまま展示しています」

「失礼ですが、あなたは……」

「長谷川牛鬼の――トモヒコの父です」

 館長は、杖をつくと大儀そうに立ち上がった。


 展示品としては大した物はなかった。が、長谷川牛鬼の才能を垣間見るには十分だった。

 高校生の時に描いた自画像の油絵。体育祭のポスター。そして、高校時代の学内誌に発表したマンガ。これは拡大してパネルになっている。

 私は、そのマンガに違和感を覚えた。

 サッカー部を舞台にした、落ちこぼれ部員の首を切ってグラウンドで蹴る生徒たち。それが学校に伝わる伝統の生贄の儀式だったという話。

 けど、どこか男臭いのだ。単行本に描かれた女の執念――ねたみ、そねみ、たくらみ――ねっとりとした情念の世界とはかけ離れている。

 返却されたネームも見せてもらった。ネットでの誹謗中傷をしていたのが親友だったという、女子あるあるな話だった。テーマはそれに対する執拗なまでの報復劇だった。

 私はたずたね。

「あのー、牛鬼さんに恋人はいらしたんでしょうか」

「え?」

 館長は虚を突かれた感じだ。

「私の知っている限りでは、いなかったと思います」

「でも、大学に入ってからのことはあまりご存じないのですよね」と会長。

「え、ええ」

 私の直感が告げていた。長谷川牛鬼のマンガは恋人との――少なくとも女性との共作だ、と。おそらく、ストーリーの原案は女性が書いている。牛鬼氏は、それを独特の絵柄でマンガへと落とし込んでいるのだ。

「そこって、お墓?」

 メリーさんは、見晴らしのいい窓際から外の景色を見ていた。

「いえ。あそこは神社、らしいです。石園(いしぞの)神社という札が出ています。ただ、今はただの石材置き場なのかもしれません」

 そう。小道を一本挟んだ向こうには、トタン塀に囲まれた石材だらけの場所があった。そこには小さなお堂もあるにはあったが、石を乗り越えて行き着くのは大変そうだ。

「牛鬼君の、いえ、失礼。実は僕は彼の同期入学なのでそう呼んでいたのですが、その、首はまだ見つかっていないのですか」

「ええ。さすがに首のない体を納棺した時には、私も苦しんだものです。……よろしければ、線香の一本でもたむけてやっていただけませんか」

 館長は、事務室の奥にある仏壇を指し示した。

 もちろん、私たちは線香を上げた。

 そこで見た牛鬼氏の顔は、精悍な、というか、柔和な館長とはほど遠い、どこか狂気を感じさせる顔立ちだった。

 会長が般若心経を上げた。

 きっちりとした読経に、館長は涙を流していた。

 去り際に、メリーさんがたずねた。

「ここを維持しているのは、いずれ真犯人が現れると期待しているから?」

「かもしれません。ですが、息子が残した物を何とか維持してファンの方に見てもらいたいという気持ちも本当なのです。あと、出版社からのファンレターもここに送られてきます。まあ、感傷と言えばそれだけの話なんですけどね」

 老人はさみしげに笑った。

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