白壁の主(2)
蕎麦屋さんを出た私たちは、美観地区へともどった。
「あ、教会だ! こんな所に珍しい!」
メリーさんが、白壁越しに見える天使像を指さす。
「え? まさかあれは……」
天使像の向こうに見えているのは、いかにもなキリスト教会。しかし、破風の下にある壁の丸いステンドグラスにあるのは十字架のついた吊り鐘マーク、それも先端に蓮の花がついた十字架だった。
「あれって……」
「大天使教?」
澪さんも反応した。
寄り道して看板を見る。「大天使教修道場」の大きな看板が出ていた。その下には小さな「山口」の表札もある。
「まさか、山口周三さんの修道場ってここ?」
見えない力に引き寄せられたかのようだ。全身がぞわぞわする。
「素通りは、できないなあ。ちょっと寄ってみるか」と会長。
「え? 何? ここってそんなに有名なわけ?」
事情がわからないのはサバエ氏だけだ。
そんなに怖い宗教ではない、と知っている私たちは、つかつかと中庭に入っていく。
天使像は水のない噴水の中央に立っていて、むなしく天を仰いでいた。
「こんにちは」
声をかけると、修道士の服装で草むしりをしていたお爺さんが顔を上げた。
「ウェネラーレ ・アルカンゲロス!」
いつでも陽気なメリーさんがあいさつした。
「ウェネラーレ ・アルカンゲロス。ようこそお越し下さいました」
修道士さんの顔が涙でくしゃくしゃになった。
名前を聞くと、まさに山口周三氏その人だった。
古い教会をまかされたはいいが、信徒は一人もなく売れるような財産もない。途方に暮れていたところなのだという。僅かな生活保護のお金で暮らし、周りには友人もいない。それでも、教えを守って清貧の生活を続けているのだとか。
「まあ、これが修行なわけですが、思っていたよりもつらかったです」
寧々さんの話をすると、周三さんはさらに泣き崩れた。
「ああっ、そんなことが。孫が気にかけていてくれたとは、なんともありがたいことです。本当に、ありがたいありがたい」
この上、みねお婆ちゃんに会ったと話したら昇天するかもしれない。
「お茶も出せなくて、本当に申し訳ないです。ギリギリの生活なんです」
「厳しい宗派なんですね」とサバエ氏。おそらく、キリスト教の一派だと思い込んでいるのだろう。
「はい。それが、前任者の言い送りでは蔵にいくつかまだ骨董品が残っていて売ればいくばくかのお金になる、と言われていたのですが、開けてみたら空っぽだったのです。それで、窮地に追い込まれました。このままだと、修行期間を終えても業務上横領で訴えられかねません」
……深刻な話だ。
「前任者が売り払った、と?」
「いえ。引き継ぎを受けたときには、蔵にはまだいくつか箱が残っていました。箱の中身も確認しました。古備前や唐津の焼き物でした。萩焼もありました。私の見たところ、そこそこの値はつく物でした」
「つまり、いつ、どうやって盗まれたかがわからないと?」と会長。
「はい」
「これは、ぜひ調べてみなくては!」
魔界探偵が身を乗り出した。
何よりもまず寧々さんに連絡を、と思ったけど、それは周三さんにことわられた。肉親への愛着を捨てて一人荒野をさまようがごとく生きるのが修行なのだとか。携帯電話も持たず、テレビも見ず、日の出と共に起きて畑を耕し、日の入りと共にぐっすりと眠る。人としての本来の生き方を学び直すのが修行なのだと言う。
私はたずねてみた。
「どうして、大天使教に帰依したのです?」
「実を言いますと、相続税の問題がありまして。京都の、まあ一等地を子供たちに残しても負担になるだけです。争いも起きかけていました。かといって、あの家を売り払ってどこかに引っ越すようなふんぎりもつかない。そこで、半年後には元の家に戻って来れるということなので、全財産を教会に寄付したというわけです」
ずいぶんと世俗的な動機だった。
「早まったと思ってますか?」と澪さん。
「少しは」
恥ずかしそうに頭をかく。
蔵は家の中の長い廊下の奥にあった。扉は開いたままになっている。
「ご覧の通り、もぬけの殻です」
裸電球に照らされた室内には、応接セットが置かれていた。その下には楕円形の絨毯が敷いてある。手前の右手には二階へと続く急な階段があった。
「ちょっと調べてみていいですか」とメリーさん。
周三さんは快諾する。
絨毯をめくって床を強く踏んで回る。次は壁を叩いて回る。隠し戸がないか調べているようだ。
「何もないです」
しょんぼりする。
「二階は?」
「どうぞ、お好きに見て回って下さい。教会はどなたにも開かれています」
メリーさんは手近にあったホウキを手にすると、狭い階段を上に登る。そして、床を叩き終えると今度は天井裏をつつき始めた。
「何かわかったかね」と一階のアマリ会長。
「何もわかりませーん」
さすがの魔界探偵もお手上げのようだ。靴下ををホコリだらけにしただけ無駄だったらしい。
「ここの管理を引き継いだ方というのは、地元の方なんですか」とサバエ氏。
「ええ。新堀さんといって、この近くで生れ育った方です。ただ、体調が良くないらしく、岡山の病院に入院されました」
「新堀さん、か。なんとなく事件の核心が見えてきた気がする」
サバエ氏が満足げにうなずいた。
「僕の推理はこうだ。新堀さん、というからには新しい堀に関係した姓なのだろう」
周三氏を含め、私たちはうなずく。
「そして、ここは元々、蔵の多い町。美観地区以外のあちこちにも堀はめぐらされていたはずだ」
……ふむふむ。
「そして、倉敷は江戸時代には天領――幕府の直轄地だった」
は?
話が飛んだ。
「西国からの物資は、倉敷の蔵に集められてそれが大坂に向かう。あるいは、各藩への物資が送り出される拠点となる。蔵があるということは、その拠点だったというわけだ。当然、幕末の志士の活動の場ともなった」
「倉敷アイビースクエアのあたりが代官所だったんですよね」と澪さん。
「倉敷で事件があったとは寡聞にして聞いたことがないのだが……」と会長。
澪さんが、日本史専攻の強みを発揮する。
「大きな所では『倉敷浅尾騒動』という事件がありました。奇兵隊百人が倉敷代官所を襲い、焼き払ったんです。長州藩の木戸孝允は、これを『脱走兵が勝手にしたこと』として処分したそうです。その他にも幕末の志士の潜伏先として、あるいは中継地として使われていたと思います」
サバエ氏は話を続ける。
「つまり、だ。この屋敷のどこかに、昔の掘り割りに続く隠し通路があるはずだ。そこを通って犯人は中に侵入した。そして、農作業で周三氏がここを離れたすきに蔵の物を持ち出した。あるいは寝ている間に。そして、その隠し通路のことを知っているのは、おそらく新堀一族の誰かだ」
「あのー」
周三氏がおずおずと声を上げた。
「その堀は少し行ったところにある大通りで、今は埋め立てられています。堀につながる通路もあるにはあったのですが、戦後、瓦礫や何やで埋められてしまいました。私はそう聞いています」
「あちゃー」
サバエ氏、痛恨の推理ミスだった。




