白壁の主(1)
私たちを送ってくれたのは地元の酒蔵の車だった。運転するのは、ハンチングをかぶった初老のおじさんだ。
「みなさん、京大の学生さんなんですってね」
「はい、そうです」と会長。
広域大学がどうのこうのといったことは面倒なので説明しない主義らしい。そして、サークルとしては京大ミステリー研なのだから、あながち間違ってはいない。
「おりいって相談があるんですがねえ」とおじさんはハンドルを握りながら話しかけてくる。
「実は、新しい銘柄の日本酒を売り出そうと思うんですが、なんかこうびしっと来て、一目見て忘れなさそうな、おしゃれな酒の名前がないかな、と模索中なんですよ。何かいいアイディアはないですかねえ」
「うーん」
さすがにアマリ氏もうなり声しか出ない。
隣りの席ではメリーさんがさっきからメモ帳に何か書き付けていた。
「メリーさん、何書いてるの?」
「あー、昨日見た地獄からの手紙の意味がいまいちわからなくて」
……謎の吉備文字のヤツだ。
「刀葉樹の姫からの手紙?」
「うん。末尾に『午未申酉』って書いてあったの。何かの呪文だと思うのだけど……」
午未申酉、といえば、丁度鬼門の反対側にあたる十二支だ。鬼門封じの呪文か何かだろう。
……って、怪異が幻視した手紙を読み解こうって、無理ゲーすぎる。
「そりゃ、謎ね」と苦笑するしかない。
横から見ていた私には、ふと未申という字がくっついて神に見えた。
「おいしいお酒を送って、て言ってきたんだよね」
「うん」
「午し味の神酒を送れ、て事なんじゃないかな。偏を加えたらなんとか読めそう」
「うまし味! それだ! それで鬼門が封じられる!」
「うん。まあ、西南は裏鬼門という話もあるけど、鬼が出て行ってくれる方位だから、塞がなければそんなに怖いこともないのよね」
「へーえ。さすがさつき!」
「って、お婆ちゃんが言ってたんだけどね」
「よく覚えているね」
「うん。お婆ちゃんの教えで十干十二支とその陰陽は頭に叩き込まれている。それに、鬼門と裏鬼門の話は日本人なら誰でも知ってるよ」
……いや、誰でも、は言い過ぎだろうか。
私は、幼い頃の縁側での光景を思い出す。
「コウ↑オツ↓ヘイ↑テイ↓ボー↑キィ↓コウ↑シン↓ジン↑キ↓。
ネェ↑ウシ↓トラ↑ウー↓タツ↑ミィ↓ウマ↑ヒツジ↓サル↑トリ↓イヌ↑イー↓」
幼いときから音程をつけた歌で覚えさせられたのだ。だから小学生になったときに、同級生でエトすら言えない子がいるのが信じられなかった、そんな記憶がある。
「鬼が出ていく方位か。面白そうだな」とアマリ氏。
「そうだな。ちょうど桃太郎の伝説にも合っていて、岡山の酒の名前としてはいい感じだな」とサバエ氏。
運転手さんも話題に乗ってきた。
「それは面白いですね。『午未申酉』と書いて『うましあじのみき』社長に提案してみますよ。うん、ラベルのイメージまで湧いてきました」
「ついでに『トウヨウジュキ』もお願いするのー」
「何ですか、それ」
私はメリーさんのメモ帳から一枚もらって書き付け、信号待ちの時に運転席に回してもらう。刀葉樹姫――なんかカクテルの名前みたいだ。
そうこうしているうち、車は倉敷駅の南側についた。
「皆様お疲れ様でした。どうぞ、観光、楽しんでいって下さい」
おじさんは帽子を脱ぐと深々とお辞儀をしたのだった。
どうせなら珍しい物を食べたい! というわけで、朝からやっているスープカレー屋で朝食。そのあとは徒歩で倉敷美観地区に行く。大原本邸や大原美術館がある観光地だ。ここは太秦映画村のような堀割があって、その周囲にたくさんの美術館が並んでいる。メリーさんは全ての美術館で学割がないかアタックしていたが、ほとんどで玉砕していた。
「そろそろ昼飯の時間だね」
アイビースクエアで一息ついていると、サバエ氏が音を上げた。
「ああ。観光客が多いから、早めにメシ屋に入った方がいいな」とアマリ会長。
「本当の事を言うと、おぢさんはもうくたくたなんだよ。アマリ君もそうだろう」
「ご同慶の至り。選定は、例によって女子諸君におまかせしよう」
これはいい作戦だ。ぶらぶらしながら食事処を探していたら、女子は永遠に目移りしてしまう。ここで目的地を決めて直行した方が効率的なのだ。そして、欲望に忠実なのが約一名。
「はいはーい、お蕎麦が食べたいでーす」
……即決だった。
無料配布のパンフレットで蕎麦屋を探す。
掻き上げ蕎麦のお店がみつかった。開店時間も十一時だ。私たちは美観地区のはずれを出て蕎麦屋をめざした。
観光客の姿がまばらになったあたり。
少し入り組んだ路地を行くと、古い白壁で囲われた屋敷にその店はあった。
待つこともなくテーブルにつく。
「デミカツ丼!」
「かきあげ丼!」
男性陣は、ご飯物にまっしぐらだ。よほど腹をすかせていたに違いない。
「私はかきあげ蕎麦。ザルでお願いします」
あらかじめ決めてあったメニューを告げる。
「あたしも!」
「私も同じで」
女子の同調圧力は便利だ。
レンコン、ゴボウ、タケノコ、ニンジン、シイタケ。地元の食材を使ったかきあげは絶品だった。一人デミカツ丼を頼んだ会長はくやしそうにしている。仕方なく、女子チームから少しずつ分けてあげた。というか、蕎麦に添えられたかき揚げが思いのほか大きかったのだ。
「やあ、喰った喰った」と満腹になった会長。鼓腹撃壌の構えである。
「午後はどうしよう。新幹線を使うなら倉敷から一時間半で京都駅だ。が、新快速を使うと半額以下で三時間半はかかる。月曜の授業次第だと思うが、学部生としてはどうだね」
私は一気に現実に引き戻される。ずっと倉敷で観光を続けたい気分だった。月曜は確か、ネットでの語学とか講義があって、これはネカフェでも見られる。けど、やはり自宅で教科書を横にして見た方が安心だ。ノートも二度手間になる。
澪さんは即座に「大丈夫です」と言った。
私がためらっているとメリーさんが言った。
「大丈夫。なんとかなる!」
う、うーん…… この子に保証されるとかえって不安になる。距離と時間についての怪異の感覚は、人とは全く違うのだ。
私の結論は……
「夕方には帰りの電車に乗りたいです」
「よし。三時のおやつを最終期限に、京の都へ帰るとするか」
会長の決断が下った。




