桃太郎奇譚(4)
銀色に輝く宇宙人の姿に脚がすくむ。
「さつき、こちらへ!」
メリーさんが私の手を引っ張った。
ちらっと見えた外には、ゴブリンのような生き物の姿も見えた。
……こんな奴らに襲われたらひとたまりもない!
「行け~! ブラッディー・メリーさんの羊~!」
ドドドド……
私の横を、黒い羊の群れが通過していく。それも、かなりの速度で。
宇宙人とゴブリンたちは、羊の頭突きをくらって吹っ飛ばされる。豪快な頭突きだ。
羊の一団が通り過ぎたあと、メリーさんは引き戸を閉め鍵をかけた。
「いつもの武器は?」
「持ってきてない! さすがにこんな事態は想定していなかった!」
……でしょうね。
「大饗さん、裏口は?」
「ああ。今、見てくる」
ソファーにいる泥酔組は放置して……
澪さんは……
なぜか笑い転げていた。
「羊! 羊だよ!」
「澪さん、大丈夫?」
「だって、鬼門に対抗した十二支から省かれた羊なんよ!」
サバエ氏が、定位置になったソファーから突っ込む。
「あ、あれは滝沢馬琴が『燕石雑志』の中で書いた思いつき説だから」
そう。十二支の丑と寅の間の方位――艮は東北、西南の坤の真反対なのだ。申、酉、戌、が桃太郎のお供になったのは、鬼門である艮と対抗する方位だ、が、未は当時はマイナーかつ弱そうなので省いて戌を補った、て説。
「ちょっと待て。馬琴はそこまでは言ってないぞ。それは現代の誰かが思いついてあとからつけたした説だ」とアマリ氏。
なんなんだろうこの人たちは。外では宇宙人とか子鬼が暴れていて、火事になっていて空襲警報まで鳴っているというのに……
大饗氏はさっきからぼーっとして何かつぶやいている。
「人生に絶望した!」とかのたまいながら。
……あ、やけになって酒をあおってるよ!
頼りのメリーさんは、ウォッカにクラマトを入れてブラッディー・シーザーを作っていた。てか、どこから持ってきた、そのウォッカ!
新聞入れがガタガタする。何かが体当たりを繰り返しているようだ。
コトン。
「カラス?」
横の窓からのぞくと、何か黒くて大きいものが飛んでいくのが見えた。
私は勇を鼓して新聞受けの中に入った物を見に行く。
手紙だった。
「えっと、『岡山市消防局です。現在、あなた方は……』え? 何このミミズが這ったような文字は?」
「ちょっと見せて」と澪さん。
「あー、これは『吉備文字』だわ。これは読めない!」
「メリーさんなら読めるかも」
酔っ払い三号の所に持って行く。
「あー、『地獄の鬼たちがおいしいお酒を所望です。急いで持ってきて下さい、刀葉林の姫より』だって」
……たぶん、いや絶対に読めてない。
「メリーさんの羊たちって、強いの?」
「うん。草がある限り暴走しているし、防御は完璧。是非やれと言われれば、半年や一年は随分と暴れて見せましょう!」
「そう、なんだ……」
安心した私は、急に喉の渇きを感じた。時計を見るとすでに夜中の二時半、昔で言うと丑三つ時だ。
手近にあったトマトジュースをごくごく飲む。
急に眠気に襲われた。
夢の中ではずっとゾンビと戦っていて、いやな汗をかいたのだった。
翌朝、私はふとんの中ですっきりした目覚めを迎えた。どうやら寝部屋にたどりつけたらしい。
一夜明けて、外の騒音は消えていた。
メリーさんの羊防衛網は、あらゆる攻撃を跳ね返したのだ。
私は、枕元にある手紙を改めて読み返してみた。
「岡山市消防局です。現在、あなた方は、ミリスチシン中毒、ならびに、シロシビン中毒にかかっている可能性があります。婦人会がジビエ鍋に過剰なナツメグと幻覚性キノコを使用したことが原因です。飲酒によってさらに症状が重くなる可能性があります。可能ならたくさんの水を飲んで、胃の内容物を吐いて下さい。我々は大量の羊によってはばまれ、救出に向かうことが出来ません。ドローンを使ってこの手紙を届けます。早く病院に行かれることをおすすめします」
……はっ?
原因は、夕食に食べた鍋ですか!? あの、メチャクチャおいしかった鍋が!?
確かに、毒キノコは山菜採りの専門家でもあたることがあると聞く。そして、鼻腔にのこっている香りはナツメグのような気もする。
ロビーに行くと、アマリ会長とサバエ氏が、しれっとした顔で出迎えてくれた。
「やあ、おはよう。よく眠れたかね」と会長。
「いやー、楽しかったね。久々に面白い夢を見たよ」とサバエ氏。
大饗氏と澪さんは、まだぐったりしている。反対に、深酒組はすっきりしたお目覚めのようだ。
「メリーさんは?」
「ああ。外で羊と遊んでいるよ。君も行ってきたらどうだい」
会長は、読んでいた本をテーブルに置く。
扉ががらりと開いてメリーさんが元気よく入ってきた。
「おっはよーございまーす!」
羊はついてきていない。そして、手には壊れたドローンをさげている。
「あれ? 羊は?」
「元いたところに帰っちゃいましたー」
全員そろったところで、会長が話し始める。
「君たちは、秦河勝という人を知っているかね」
澪さんが眠そうな顔で答える。
「聖徳太子の頃の人で、秦の始皇帝の子孫だと称した人ですね」
「そうだ。が、この人には不思議な伝説がある。推古天皇の時代に泊瀬川に洪水が起きて壺が流されてきたんだそうだ。ちょうど長谷寺のあるあたりの川だ。それが大和川をくだって磯城島についた。人々が拾い上げてみると、その中には生れたばかりの赤ちゃんがいた」
皆がはっと息を呑む。
「その子はそばにいた人の口を借りると、自分は秦の始皇帝の生れ変りだ、急いで朝廷に報告してくれ、と言ったそうだ。推古天皇もこれを聞いて不思議に思い、そば近くで育てることにした。その子は成長するにつれて、神童よ天才よともてはやされ、大きくなってからは聖徳太子の側近くに仕えた。これが秦河勝だ。猿楽の祖でもある。『翁』の能を初めて舞ったのも河勝だそうだ。猿楽を子孫に伝えた後、河勝は空舟に乗って西方へと向かった。播磨の国で浜で打ち上げられて漁師たちの前でたちまち神となり、あたり一帯に祟りをなした。大荒神となったのだ。そこで播磨の国ではたくさんの神社を作って河勝を祀った。猿楽の宮とも宿神とも呼ばれる。その心が荒れると三宝荒神、静まると本有如来と。……まあ、金春禅竹の『明宿集』という本に書いてあることなんだけどね」
「つまり、桃太郎伝説の元は秦河勝伝説だったと言うのですか?」と大饗氏。
「まあ、どちらが元かはわからないが、何らかの関係性を感じるね」と会長。
「自分で疫病を撒いて、自分が疫病鎮めの神様になったってことなの? 牛頭天王みたいに?」とメリーさん。
「まあ、播磨の国は牛頭天王が最初に上陸した地だともいうから、関係性はなきにしもあらずだ」
「牛頭天王総本宮の広峯神社ですね」と澪さん。
「で、さらに面白い話をしよう。京都の太秦寺、すなわち広隆寺には秦河勝の墓があり、その池の島には始皇帝の頭蓋骨が収められているというんだ」
「温羅の頭蓋骨!」と私。
色んなピースがもやもやっと重なり合いつつ、どれもがしっくり来ないもどかしさがある。まあ、本当のミステリーなんて物はそういう物かもしれないが。
「さて、みんな。朝食は倉敷でとろうと思うのだが、大饗君はどうかな?」
「あ、はい。僕はちょっと体調がよくないのでここで失礼します。皆さん、楽しんできてください」
かくして、私たちは昨日の事件はどこへやら、倉敷へと向かったのだった。
参考資料
『精霊の王』中沢新一・講談社