旅館に巣くう怪異(1)
秋。
修学旅行の季節だ。
入道雲といまだきつい照り返しのもと、全国の少年少女が煮えるように暑い京都へとやってくる。
私自身は小中高で行った先が、九州、大阪、沖縄、と関西以西にかたよっていたため、京都での修学旅行に来れる若人がとってもうらやましい。そして、修学旅行と言えば巨大旅館だ。そう、山口寧々さんの実家もその一つだ。今回の相談者もまた寧々さんだった。
「ご相談というのは、なんとも話しづらい話なのですが…… 実家の旅館が呪われてしまったようなのです」
おずおずと切り出す。
アマリ氏は、メガネをくいっと上げると、身を乗り出した。
「ミステリー研究会では、先入観なく物事に対処します。どうぞ、続けて」
「はい。うちには百畳敷きと呼ばれる大広間がありまして、そこで怪奇現象が続いているのです」
寧々さんの話を要約するとこうだ。
広間の食事で多くの修学旅行生が「何かに監視されている」「視線を感じる」という不安を告げるようになった。大半は女子だが、中には男子生徒もいた。大広間は、内側の廊下沿いはふすまで、外側には障子と外廊下があり、その外にはガラス戸がある。ガラス戸は下半分が磨りガラスになっていて、その外はちょっとした庭になっている。庭からこっそりのぞくことはできない。そして、大浴場ではそのような不安は訴えられていない。個室のお客さんも同様だ。
「それは、いつから?」
「九月のあたまからです」
「ふむ。その頃に何かかわったことは?」
「特には何も……」
「例の石灯籠はどうしたの?」と私。
「あれは、夏休み中に庭に運び込んで据え付けました。百畳敷きからは見えない奥座敷の庭です」
「お祓いはしてもらった?」とメリーさん。
「はい。聖護院の修験者さんと、祇園さんの神主さんに来てもらいました」
うわー、と会長。
「けっこうかかったでしょ」と補足する。
「はい」と寧々さん。
「監視カメラはついているの?」とメリーさん。
「はい。煙感知器に見えるのがいくつか。でも、つけたのは十年も前ですし、特に不安がるお客さんもいませんでした」
「これは、現地調査の必要があるな」
会長が立ち上がった。
寧々さんの実家は産寧坂のすぐ近くだった。
「こ、これが、ころんだら三年で亡くなるという三年坂!」とメリーさん。
「ええ。でも、それはデマです。一念坂と二年坂にはそういう伝説はおへんし」
「寧々さんって、ひょっとして豊臣秀吉の奥さんから名づけられたの?」と私。
「はい。子安塔に安産祈願したはった、あのねねさんです」
寧々さんは、ちょっと恥ずかしそうだ。
子安塔とは清水寺のはずれにある観音さんをまつった三重の塔のことだ。ここからは清水の舞台が正面からよく見えるので、通の名所になっている。
「あー、確かねねの道ってあったよね」とアマリ会長。
「はい。円山公園から、圓徳院と高台寺の間を通って、一念坂の手前までです。そこから一年坂、二年坂、三年坂と歩きはったんですね」
感覚としてはけっこうな距離な気がする。そんなに歩くのなら出発点近くのオシャレカフェ長楽館でスイーツを食べて帰りたいところだ。
私たちは、旅館の横を回って家族用の玄関から建物へと入った。家族用と言っても、普通の一戸建ての玄関よりも大きな造りだ。そこから大きな厨房の横を通って旅館の本館へと向かう。
「こちらが百畳敷きです」
私たちが通されたのは、幾間かに区切られた広い座敷だった。今は廊下側以外の全てのふすまが開け放たれていて、舞台のついた上の間に立つと、廊下側に床の間がついた中の間、何の飾りもない下の間まで、すっくり見通せる。
全てが新しく、清潔だった。
いぐさの香りがする新しい畳。
真っ白な障子。
京の四季が描かれたふすま。
私はその光景を見て軽い目眩を感じた。
まるで映画の『マトリックス』に出てくる、電脳空間のような座敷だ。
下の間の端にあるふすまを開くと、このまま無限に続く座敷になっていそうに思えた。
「バックルーム……」
メリーさんがつぶやいた。