旅館に巣くう怪異(2)
「バックルームって?」
「アメリカの都市伝説。無限に続く黄色い部屋の話。昔、そこに呑み込まれたとあるIT会社の社長を救出したことがあるの」
……あ、それ、前に聞いたヤツだ。天井の蛍光灯を壊しまくって脱出したって武勇伝。
「CGっぽい空間を現実に作ると、異世界に吸い込まれてしまうってヤツか」と会長。
「そう。脳がこの世界を『現実じゃない』と認識したとき、人は異世界に引き入れられてしまう」
「でも、失踪した人は一人もいないんですよ」と寧々さん。
「意識が異世界に吸い込まれてしまうと、気持ち悪くなることはあるかも」とメリーさん。
会話が止まる。
「ここは、いつきれいにしたの?」と私。
「この夏休みです」と寧々さん。
「夏休みは修学旅行生も来ないし、この際、畳もきれいにして、障子も全面的に作り直そうって母が発案したんです」
「というと、それまではけっこう古い感じだった?」
「はい、それはもう、ぼろぼろでした」
「障子を作り直したって言っていたが、障子紙の張り替えだけではなかったんだ」と会長。
「はい。実は、六月頃に暴れた修学旅行生がいまして、ちょっとひどい有様になっていたんです。カーテンで隠していたんですけど、さすがに大広間の雰囲気にはそぐわないんで、障子の桟から全て作り直しました」
「それだ!」
会長が大きな声をあげた。
「君は、目目連という妖怪を知っているかね」
「名前だけは……」と寧々さん。
「鳥山石燕が描いた妖怪草子のどれかに出てくるんだ。障子紙の枠内にそれぞれ二つの目がついている。目目連は見られているという感覚を引き起こすわけだ。実はこれ、パターン恐怖症の古い症例ではないかと言われている」
「パターン恐怖症?」
「集合体恐怖症――トライポフォビアの一種だ。精神医学の用語としてはいまだ正式な診断名にはなっていない。が『蓮の萼の穴が怖い』ということを訴える人は少なくはない」
「あ、蓮コラですね!」と私。
昔、インターネットで蓮の花托を頬に合成した人の顔の画像が流行ったことがあった。あれは皮膚病を思わせてあまり気持ちがいい物ではない。
「そうだ。蓮コラ、じゃなくて集合体恐怖症は、不定形に繰り返される高密度で不規則なパターンが恐怖を感じさせると言われている。一方、正方形のタイルのような規則的な集合体に恐怖を感じる人もいる。これがパターン恐怖症だ。そういう人は、賃貸を借りるときにはとても苦労するそうだ」
「では、内装を一新したのが『視線』の原因だと言いはるんですか?」
「僕はそう思う。パターン恐怖症は、コントラストが大きいと出やすい、という説もある。……たとえば、各部屋の障子紙を系統の違う色で淡く染められたものにしてみるというのはどうだろう。障子の格子も、もっと明るい色にするんだ。そうすれば、脳への負荷が減って目目連現象も起きないんじゃないかな」
「ありがとうございます!」
寧々さんが、アマリ会長をキラキラした目で見ている。私も正直、会長を見直した。
「メアリー君、君の意見はどうかな」
「はい。それでOKだと思いまーす!」
珍しく会長がポイントを上げた事件だった。
私たちは、寧々さんの旅館の別室に案内された。
そこでコーヒータイムをしていると、会長がたずねた。
「ところで、修学旅行生が暴れた、てどんな事件だったの?」
「あたしも聞きたいでーす!」とメリーさん。
「はあ。あまりお話できるような話しではないんですけど……」
寧々さんは話し始めた。
その日。
旅館には二組の高校生が修学旅行で泊まっていた。
一方は福島県、もう一方は山口県だ。
普通、旅行会社はこの二つの県の出身者を同じ旅館に割り当てることはしない。何せ、会津と長州は犬猿の仲だからだ。
この険悪な関係は、明治元年の戊辰戦争に起因する。幕府方に最後までついた会津藩は朝敵とされ、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍の猛攻に敗北した。白虎隊の悲劇があったのはこの時だ。この戦争で会津藩は大きな被害を受け、領地も失う。
とまあ、こんな百五十年以上も前の遺恨などもう解けただろう、と思ったのか、それとも単に他の旅館が空いてなかったのか、福島県と山口県の両高校が同じ宿にまとめて入れられた。
今の時代「御一行様看板」などは掲げてはいない。が、両グループは、すでに霊山博物館でぶつかっていたのだ。幕末維新の頃の対立に胸を熱くした両者は、戦いの場を旅館の大広間に移した。
ダンダラ模様のついた浅葱の羽織の福島県ご一行が目立たないはずがない。
廊下でのいさかいが双方に広がる。
松の廊下ならぬ旅館の廊下だ。
で、喧嘩は必然的に大広間にも波及する。
「おのれ、賊軍が!」
「なにゆっとる、こん新政府の犬っけ!」
可哀想なのは、両校の緩衝地帯で楽しんでいたアメリカ人観光客だ。
湯豆腐をアテに京の地酒を楽しんでいたお楽しみがふいになってしまった。
当然、怒った。
すっくと立ち上がると、首魁をとっつかまえる。
海兵隊上がりの屈強な男たちだった。
何発かボディーブローをくらわせると、そこに正座させた。
「『四方の海、みなはらからと思う世に、など波風の立ち騒ぐらん』――知っていますか。これは明治天皇が作った和歌です。日米開戦前の御前会議で、昭和天皇はこの歌を詠み上げて日本軍に自重を求めました。この歌をかみしめるのです。我々の母国も、かつては互いに戦争ました。でも、今はこうして仲良く旅行に来られる関係になりました。なのに、なんだ、君らは。明治維新の頃の遺恨をいまだに抱えている。反省しなさい!」
たどたどしいが、わかりやすい日本語だったという。
そして、床の間にかざってあった大盃をとって来させると、一升瓶の酒をなみなみと注いだ。
「和解しなさい。これを半分ずつ飲むのです。そして、恨みを水に流すのです!」
これには、両校の先生も文句をつけられなかった。恐ろしい気迫だったからだ。
両者、五合ちかくの酒を腹に収めると、ほうほうの体で自陣に逃げ帰っていった。
「その後、マーライオン化した二人は畳を汚して、わたしらはアメリカさんには大謝り、宿代はお返ししてえらい迷惑なこってした」
「その高校はどうしたの?」とメリーさん。
「はい。きっちり賠償してもろて、それで畳と障子を直したんです」
わかる気がした。学校としては、警察沙汰になってもおかしくないところを内々に収めてもらったのだ、感謝してもしすぎることはないだろう。
「さて、面白い話も聞かせてもらったし、我々はそろそろ帰るとしますか」とアマリ氏。
「ちょ、ちょっと待って下さい。あと一つ、見てほしいものがあるんです。うちの庭にある石碑なんですけど……」
「あ、ああ」
京都人のケチ精神に引き留められた私たちだった。




