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旅館に巣くう怪異(3)

 寧々さんに案内されたのは、奥座敷のさらに裏手にある、広い池のある日本庭園だった。その先の灌木に覆われた小さな丘の向こうに、子供ほどのサイズの石碑が建っていた。

「これなんです」

 自然石の表面に、流麗な行書の文字が刻まれている。

「毛朱一竹塚? 何かきいたことがあるなあ」と会長。

「平清盛が退治したとされる(ぬえ)のお墓なんです」と寧々さん。

「え? 鵺!?」

 私とメリーさんは同時に声を発した。

「またあの子が……」

「まあ、昔の話だから」

 二人でひそひそと話す。

 寧々さんは、先を続ける。

「これがこの間、ごとごとと音を立てて揺れ動いたんです。たまたま散歩中のお客様が見かけて、なんだこれは、と驚かれたそうです」

「はぁ…… 確かそういう伝説があったな。将軍塚だっけ」と会長。

 またやっかいな話を…… と思ったのは私だけではなかったようだ。会長は、妖怪の鵺と征夷大将軍坂上(さかのうえの)田村麻呂(たむらまろ)では格が違う、と言いたげだ。

「実害は、出たのかね」

「いいえ、特には」

「それは毎日?」

「いえ。ただ、お客さんが、こわかったと言ってはりました」

「どのような人なんだね。政府の要職にある人とか?」

「へえ、まあ、そのようなもんです」

 寧々さんは、緊張すると京言葉が出てしまうのだ。

「ふむ。散策、というと夕方から夜にかけてかな」

「はい」

 今はまだ怪異が出る時刻には少しはやそうだ。

 私は、スマホで毛朱一竹塚について調べてみる。

「毛朱一竹塚」の碑は、昔は産寧坂の近くにあったが、今はなくなった、射落とした鵺を祀った塚の碑らしい、平清盛(たいらのきよもり)が飛びかかったら左の袖に飛びこんだので(みかど)に献上した、正体は小鳥だった、毛朱とは鼠の唐名である、南台というところの竹を切ってきてそれに入れて埋めた、本当は「毛未」で「毛朱」は文字の写し間違いである、等々。

「鼠かもしれない、と言うのか。空飛ぶ鼠と言えば、『山海経』に飛鼠という妖怪が出てくるな」

「飛鼠の正体には、コウモリ、ムササビ、モモンガ、という説がありますね」と私。

「……どうして、竹に入れて埋めたのかなあ」とメリーさん。

「うーん。オサキギツネの扱い? それか、普通に鳥籠を作って飼っていたけど、亡くなったので籠ごと塚に葬ったのかも」

「あるいは、小鳥の毛を使った筆を祀ったのかな……」とメリーさん。

「え? 筆!?」

 言われてみるとそういう気もしてきた。たとえ何かをを葬ったとしても、棺桶である竹のことに触れるのは妙だ。そして、毛朱にせよ毛未にせよ、わざわざ竹を取ってきて詰め込んだのなら、ついやした労力の意味がわからない。となると、名品である鳥籠、あるいは筆という線が有力になる。

「ねえ、江戸時代の高級筆って、イタチやテンの毛でしたっけ?」と私。

「そうですね」と寧々さん。

「そういえば、ムササビやモモンガのしっぽの毛って長いんだよなあ。死んでから筆にしたのかも」と会長。

「袖に飛び込む可能性があるのは……」

「空飛ぶ座布団ことムササビではなく……」

「モモンガだ!」

 ミステリー研一同の判断が一致した。


 というわけで、鵺の一種とされた「小鳥」はモモンガに、毛朱一竹塚はその筆塚、ということにミステリー研としての結論は出た。

「あのー、ごとごとと音を立てて揺れ動いたって話は……」

 困り顔の寧々さんである。

「あーっ、それはだねえ…… 情報不足というか何と言うか…… ははは」

「そうでーす。実際に録画した映像がほしいでーす」

 ミステリー研の二大戦力が守りに入った。

 私は寧々さんに気になっていたことをたずねた。

「ここの宿って、昔はもっと広かったんじゃないですか」

「え、ええ。昭和の頃まではもっと先まで広がっていたと聞いています。旅館の経営がうまく行かなくて、土地を売ったそうです」

 気になっていたのは「毛朱一竹塚」の碑のあたりで遊歩道が行き止まりになっていたことなのだ。普通、日本庭園は回遊式にして道が途切れてしまうことはない。 

「土地を売った?」

「はい。いつ頃かはわかりませんが、平成に入った頃には、この先の土地はすっかり売り払っていたと聞いています」

 つまり、元々の敷地では「毛朱一竹塚」の碑のあたりが敷地の中心だった……

「旅館近辺の敷地がどうなっていたかわかるような、昔の地図とかないかな」

「はい。母にたずねてみます」

 寧々さんは、目をぱちくりする。

「さて、もう少しあたりを見てみますか」

 私は、藪に分け入るとあたりに無造作に倒された石造物を見て回った。

 道祖神、光明真言を刻んだ石碑、オキツネさん、石臼、石棺の蓋。それらが、散らばって置かれている。まるで荒れ果てた京都国立博物館の庭みたいだった。


 私たちはまた、コーヒーブレイクをしていた場所に戻った。

 寧々さんのお母さん――宿の女将(おかみ)――が古地図の本を出してきてくれた。

……わからない! 私は大の方向音痴に加えて、地図が読めない女、なのだ。

 アマリ会長のガイダンスで、なんとか旅館のある場所を特定する。

「これじゃわかりにくいですね。明治時代の実測図とかがあればいいのですが」

 私は、ツールをネットに変えて必死で検索する。

 古地図に関しては、インターネットは本当に役立たずだ。もっと簡単に過去の地図が検索できるようにしておいてほしいものだ。こういう時は古老に聞くのが一番、なのだが、あいにくと寧々さんの祖父母はもう鬼籍に入っている。

 その時、うろうろしていたアマリ氏が旅館のDVDの棚から新しい手掛かりをみつけてきた。

「これ、去年のドキュメンタリーですよね。表紙を見るに、ドローン撮影かと思われるのですが」

「へえ。テレビ局の方がドローンで撮影をしてはりました」

……え? ここらって空撮できる地区だったっけ?

 こういうのは「突っ込んだら負け」の世界だ。たぶん、許可はとってあるのだろう。

 私たちは宿の紹介をするローカル番組を見る。女将さんも寧々さんも出てくる。歴史と伝統のある京の宿、という紹介の仕方だ。

「あ、これ、ここの池だよ!」とメリーさん。

 まん丸い池が映っている。

 引きの撮影ではあるが、敷地の外も少し入っていた。

「更地になってるね」

「マンションでも建てる気かなあ」

「さすがに高さ制限はあるよねえ」

「あ、それ、建設中の老人ホームです」

 寧々さんが答えを教えてくれた。


「こんなん出てきましたけど、お役に立ちますやろか」

 女将さんが持ってきたのは、昭和十五年の敷地内見取り図だった。

 売り払われた場所にも、けっこう色んな建物があったようだ。今は埋めたてられたもう一つの池(こちらは月の形だ)と、池をコの字に囲むように立てられた建物。空撮映像では、ごちゃごちゃした建物が建っているあたりだ。まだ日本の人口が今の半分くらいで、地方にもたくさんの人々が住んでいた時代。今ほど都市は混み合っていなかったのだ。

「ほーう、持仏堂か。さっき見た石板類は、ここから持ってきたんだろうな」と会長。

 脳裏に、小高い丘を覆うように横にして置かれた石板類が甦ってきた。

 普通なら、どこかに移設して立てたであろう重量物が、まるで慌てて動かしたときのまま放置されている。

 私は思わずつぶやいた。

「この謎、解けちゃったかもしれない」

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