レモンとハヤシライス(1)
私は図書館に行った帰り、酷暑の猛攻を避けようとミステリー研究会の部室に避難した。
さすがに夏休みだ。部長は不在、「店番」担当のメリーさんが、部に寄付した宝貝、あるいは特急呪物である『京都グルメガイド』を引っ張り出してぱらぱらめくっていた。この酷暑にもゴスロリ姿を貫いているのは、さすがは人形の怪異だと感心する。
「さつきー、久しぶりにおいしいご飯が食べたいのー」
「金庫番がいないから、今日は無理ね」
「金づるがいないなら自分のお財布の中身を使ったらいいじゃない。他人の金で食べる飯はうまいかー、うがー!」
「じゃ、西部食堂に行く?」
西部食堂はおいしい。ワインがあるのもオススメポイントだ。そして最大のメリットは直近で冷房が効いているということ。
「ウェスタン・レストランは、今、全面的に夏休みなのー」
「忘れてた……」
そういえば、今日図書館に行ったのも夏季休館日を前に本を返しておきたかったからだ。
「ねえ、ハッシュドビーフってどんな料理かなあ」とメリーさん。
「ハヤシライスのことよ」
「え!?」目を丸くしている。「牛肉を引きちぎった料理ってどんなのかと思ったよー」
「逆に聞きたいのだけど、牛肉を引きちぎった料理ってどんなのを想像したの?」
「ステークタルタ~レとか、生牛肉のタタキとか。マジで何のことかと思ったわ」
メリーさんは『京都グルメガイド』の一文を指し示した。そこには「最近流行りのハッシュドビーフという表記はなんとかならないものか」と書いてある。執筆をした記者さんもお怒りのようだ。
「ハッシュって、そもそも切り刻む意味なの。ハッシュタグって言うでしょ。ナンバー記号みたいにすることがハッシュ。感覚としては、『切り刻む』よりも『ムチャクチャのグッチャグチャにする』って感じ。タマネギとニンニクとセロリを加えてパテにしたりとか」
「なるほど。でも、それってハンバーグの元じゃん」
「そう。……アメリカにもビーフハッシュって料理はあるの。ローストビーフの残り物を切り刻んで、ジャガイモ、玉ねぎ、ニンニクと炒める。コーンスターチも加えて、最後に黒胡椒もかけると完成。ハヤシライスとは似ても似つかないでしょ」
じゅるり。メリーさんは唾を飲み込む。
「久しぶりに日本食のハヤシライスが食べたくなったのー」
「よし、行こうじゃないの、ハヤシライス発祥の地へ!」
私は宣告した。
というわけで、私たちはハヤシライス発祥の店、丸善へとやってきた。
河原町通三条下ル。BALという百貨店ビルの地下に本屋の丸善がある。
昔の丸善は大きな一棟建てのビルだったらしいが、今は二フロア。それでも、大学の図書館並みの数の本が売られている。ここだけは、現代人の本離れから隔絶された異空間のようだ。
地下二階の書店の奥が、けっこう広いカフェになっている。そこで、昔のハヤシライスを再現したメニューが味わえるのだ。
金屏風が奥の壁に飾られた、オシャレなカフェ空間。私たちは、そろってプレミアムビーフハヤシを注文する。そう、問題の発端は「ハッシュドビーフ問題」だからだ。
丸善は元々、早矢仕有的という岐阜出身のお医者さんが作った、輸入品と洋書の店だ。有的は、福沢諭吉の塾の門下生で、師の理念を実現しようと商人に転向した。明治五年に開店した京都支店は丸屋善吉店と呼ばれた。東京の本店は丸屋善七店といい記録上は明治二年の元日の開店になっている。しかし、梶井基次郎の短編『檸檬』の影響で、京都の丸屋善吉店が発祥の店だと思い込んでいる人も少なくない。そして『檸檬』の舞台となったのは、明治四十年、本能寺の門前から三条麩屋町に移転した「丸善」なのだ。その後も京都支店は移転している。
では、檸檬が置かれた丸善はどこにあったのか。
三条通麩屋町の北東の角、と言われている。ここは、ミステリー好きには有名な「弁慶石」がある。武蔵坊弁慶が座った、熱愛した、比叡山から投げた、奥州高舘まで運んだが弁慶の死後に「三条京極に往かん」と泣いて鳴動したのでわざわざ戻した、洪水で鞍馬口から流されてきた、等々さまざまな伝承がある謎の石だ。「弁慶石町」の地名になっているくらいで、室町時代後期の屏風にも描かれているから、名物石なのは確かだ。
さて、丸屋善吉店は明治十二年に一度つぶれている。明治四十年に丸善が出来るまで実に二十八年間、マルゼンは京都になかったのだ。
その間、どうしていたのか。
京都の人々はこう言っている。
「有的さんは、ハヤシライスを売って生活したはった。荷車にクズ肉をデミグラスソースで煮込んだハヤシを積んで、売り歩いてはってん。それがハヤシライスのはじまりやね。そうやって丸善復興の資金をためはったんやで」
この噂は戦前にはすでにあったらしい。京都人はこの都市伝説を信じているから、ハッシュドビーフがハヤシライスの元になったと言うと本気で怒る。
「ハッシュドビーフなんて料理、イギリスにもアメリカにもおへん。早矢仕有的さんが開発しゃはったからハヤシライスや!」
……といった話をしていると、前菜のサラダ、しばらく間を置いてプレミアムハヤシライスが出てきた。ビーフハヤシはソースポット――アラジンの魔法のランプっぽい器――に入れてある。
「これが、早矢仕有的が開発した本家本元のハヤシライスなのね!」
メリーさんは、パシャパシャ写真を撮っている。
「ネット情報では、勤めていた横浜の病院で病院食として考案した、てなってるね。私のきいた話とは結構違う」
「早矢仕有的さんって、丸家銀行の頭取もしていたお金持ちなんだよ。屋台引いたりしないよー」
「う、うん」
私たちは、早矢仕さんのソースを、定石通りご飯にかけていただいた。
水分少なめの、しっかりしたハヤシライスでした。
そのあと私たちは丸善のフロアを見て回った。
洋書や専門書からマンガまで、色んな本がある。
『檸檬』の文庫本もプッシュされていて、ミニコーナーまで出来ていた。元々は、適当に棚から抜いた美術絵画の洋書を積み上げてその上にレモンを載せる話なのだけど、それをやったら店員さんにとっ捕まってに叱られるだろう。レモンの皮の油分が、シミ、シワ、変色を引き起こすからだ。考えてみれば、書店にとっては迷惑きわまりない話である。
「あ、あれ!」
メリーさんが目ざとく見つけたのは、棚の上の方にある『丸善百年史』という三巻ぞろいの分厚い本だった。
「ハヤシライスのレシピ、載ってるかな」
「うん。……こういう本は索引があるから」
下巻の最後の方を開く。
「あった。ハヤシライス!」
ワクワクしながら上巻の三百十六ページを開く。
「……幕末か明治の頃、友人が訪問すると台所にありあわせた肉類や野菜類をゴッタ煮にして、飯を添えて供応するのが常であった。そこから人々はこの料理をハヤシライスといい、ついにはレストランのメニューにまで書かれるようになったという」
「病院食説、公式に否定されてるのー!」
「神田佐久間町の三河屋は明治初年以来の洋食屋であるが、そこではハッシュビーフがよく流行った。これとライスを合せて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない。しかし三河屋も有的が贔屓にした料理屋であるから間接的に関係があるといえば、いえないこともあるまい」
「公式がハヤシライス、全否定してるのー!」
私たちは顔を見合わせる。
全てが矛盾するミステリー。
そういえば、レモンが置かれた丸善の場所も、京都の人はこう言い伝えている。「あれは洋書部門だから、麩屋町やなくて御幸町の方やね」と。
全てはゴッタ煮のような混沌に呑み込まれるのだった。




