子供部屋おじさん(4)
私たちは「ほんまもんの京都生活」ワークショップを選んだ学生であること、その二日目にあたること、不殿珠恵先生はその講師であることを話した。そして、女子の宿泊場所である母屋に神館館長と男子が来たのは食事時だけだったこと。団体行動なので、不審な動きをした者は誰もいないこと、なども。
その間に、専門の業者が館長のご遺体を回収する。監察医務院に運ばれるのだろう。
「あー、詳しいことは署で聴きたいので、あまりここでは話さないように。ところで、あの空中の部屋が見たいのだけど、どこかにハシゴはないかなあ。壊れそうにないやつ」
「はいはーい。取ってきます」
珍しく一番後ろにいたメリーさんが声を上げる。
……絶対、この展開を予想してたな。
メリーさんが抱えてきたのは、少し離れたところにある、展示用人形が乗っていたハシゴだった。横にすると、大人一・五人分くらいだろうか。おそらくは大八車に乗るサイズ――八尺だ。
さすがに男子三人が手伝う。
「たぶん、これならだいじょーぶ」
「なるほど。女子学生でも一人で運べる重さか……」
刑事さんがうなずく。
……けど、その子、怪異だから。どれほどの力持ちかわからんでしょ。
「一応、確認しますね」とメリーさん。
横にしたハシゴの桟をみんなでぽこぽこ叩く。
……よし、大丈夫だ。
「はい、どうぞ」
男子学生が、ご遺体のあった場所のすぐ横にハシゴを設置する。
警官二名がハシゴを押さえて、刑事さんが「子供部屋」へと登る。
入り口の左右をペンライトで照らして、慎重に中へと入っていく。
蛍光灯がつく。
「京都大学農学部、卒ねえ」
つぶやきが聞こえてくる。
何枚か写真を撮っているようだ。シャッター音が聞えてくる。
私はメリーさんのそばに寄る。
「次はおそらく持ち物チェックになると思う。鍵を開けるって言われても、絶対にしゃしゃり出ちゃだめだよ!」
「はーい」
おそらくこの子なら、そこらに落ちている針金の切れ端だけで何でも解錠できると思う。でも、それは警察の仕事だ。
刑事さんと入れ替わりにハシゴをのぼった鑑識の人が、子供部屋の中の写真を撮っている。
刑事さんが、少し離れた小上がりに皆を集める。蔵人が寝泊まりしていた場所だ。蔵人は、二時間ほどの睡眠をとりつつ、桶の中身を攪拌するといった作業をしていた。だからふすますらない。
刑事さんは、タブレットに移った画像を示した。
「これが何かわかりますか」
紙に謎の数式が書かれている。SINやCOSの文字も見える。
「行列式ですね。何かの回転を表しているようです」
不殿先生が、おずおずと発言した。
「回転、ねえ。学生さんたち、誰かもっと詳しくわかる人はいないかな」
「あのー、行列式はすでに指導要領からははずれています。入試でも、問題に出されることはありません」と男子学生。
「君は、どうかな」
メリーさんに見せる。
「うーん、難解でーす。その他の写真は見られます?」
刑事さんが、前後の写真をスクロールして見せる。
そこには、ルービックキューブが写っていた。
「わかったの。これは、ルービックキューブの解法を行列式で一般化しようとした苦闘の跡なの」
「ルービックキューブの解法!?」
「多分。でも、行列式が扱うのは線形代数だから、普通は解けないとされているの」
「はぁ、ルービックキューブですか……」
刑事さんは、明らかに落胆してた。事件の手掛かりになりそうにはない、ただの趣味の痕跡だったのだ。
朝ご飯は、少し贅沢になった。
階段下からサツマイモが見つかったので、芋ご飯にした。
干物の魚はあぶって食べると絶品だった。
マクワウリもついた。井戸で冷やしてあったマクワウリは、ほんのり甘くて上品な味だった。
朝の掃除は、蔵ミュージアムの血痕他の処理になった。汚物は古新聞でこすり取り、屋外の「燃えるゴミ」のゴミ箱に入れる。血はモップでぬぐって庭の洗い場で流す。不殿先生と男子学生がパトカーで連れて行かれたので、残ったのは私たち女子だけだった。
お十時には、みんなでお金を出し合って近くの洋菓子店からシュークリームを調達した。不殿先生が帰ってきたら激怒しそうなので、箱はかまどで燃やしアルミカップは近くの公園のゴミ箱に捨ててきた。
「これからどうなるんやろ」
寧々さんがつぶやいた。
「明日一日過ごしたら、帰ったらいいんじゃないかな」と私。
「明日でこの忍者屋敷ともお分かれなのかー」とメリーさん。
ロッカーは、鍵をあずかった警察の人が開けてくれたので、私たちはいつでも帰れる状況にあった。もっとも、身分証の写真はしっかり撮られたのだが。
不殿先生が帰ってくる可能性を考えると、私たちは絣の着物姿で母屋の中を着物でうろうろするしかなかった。ワークショップの単位は貴重だ。
「男の子たち、どうするんだろうね」
「うん。一番の容疑者やもんね」
寧々さんが聞いた話では、男子学生は昨日、蔵のさらに向こうにある廃屋の草刈りをさせられていたという。そこは、雑木林になりかけの空き家で、男子学生は午後はノコと鎌を手に木や雑草を切らされていたのだ。
ノコ…… そう。三人で、あるいは二人で共謀してハシゴの桟を切り、恨みのある館長を殺した、という線も考えられた。
「それはないと思うの。ランの切り口は真新しい物じゃなかったの」とメリーさん。
「その、ランって何?」
「ハシゴの横棒のこと、サンじゃなくてランって言うてはるよね?」
「あ、サンってのは日本語だよ。ランって言ってるのは、ひょっとして英語!?」
「テヘペーロ。間違いました~」
相変わらず陽気な怪異だ。この子の辞書には「不謹慎」という言葉はないらしい。
「ねえ、メリーさんは、この事件の真相をどう推理するの?」
「酒蔵の夜勤をしていた人が犯人じゃないかな」
「え? 酒蔵!?」
「工場の方。ここの並びにあるんでしょ」
「うん、そうらしいね」
そういえば、工場見学は今日の午後の予定だった。館長が亡くなり、不殿先生も連れて行かれて当面の目標を失っていた私たちだが、どう動くかの方針は決まった。
「一眠りしてから見学に行きますか」
「OK!」
私たち七人は、朝寝をしてから軽い昼食をすませて、通りの並びにある酒蔵の工場へと向かった。
「臨時休業」の札が出ていたが、私たちは構わず中に入った。
そこは、お酒の直販スペースになっている。
「失礼しまーす。『ほんまもんの京都生活』ワークショップの学生さんでーす」
メリーさんが明るい声を張り上げる。
中のどんよりした空気は、館長の死を悼む物なのは明らかだった。
「ようおこし」
足立、という名札をつけた事務員風の女性がレジの向こうの椅子から、魚の死んだような目を向けてきた。
「ほんま、今朝方は大変なことでございましたねえ。心からお悔やみ申し上げます」
寧々さんが、京風の挨拶をする。立華生の心得というよりは、生まれ育っての習いなのだろう。これで、足立さんの目が生気を取り戻した。
「これはご丁寧に、いたみいります」
「で、さっそくで申し訳ないんですけど、午後のカリキュラムが酒蔵工場の見学ってなってるんやけど、行けますやろか」
「は、はい」
足立さんは、どこかに電話をかける。
「あ、はい。工場長は無理ですよね。次長も。私でいいんでしょうか。……はい、わかりました」
足立さんは表の鍵をかけると、皆を奥へと案内する。
暖簾をくぐったその先には自動ドアがあった。そこでヘアキャップをかぶり、マスクをしてエアシャワーをくぐる。
その先の鉄扉をくぐると、巨大なステンレスタンクが並んでいた。酒蔵ミュージアムの大桶の数倍はありそうな大きさだ。
とおり一辺の説明を受ける。
全部コンピューター管理で、あまり面白くなかったです。
見学を終えて事務棟に通される。海外での事業展開とか、日本酒業界の動向のパネルとかがある。
メリーさんが着目したのは壁のボードに貼られた磁気式の名札だった。
「神館、神館、神館…… 礼とか二とか書いてあるの~」
行き先はまとめて「本家」になっている。
「あ、それは勤番評です。うちは同族経営の酒蔵ですから、同姓の方が多いんです」
横の夜勤表には、手書きで担当の姓が書かれている。
「昨日の夜勤は、迫水さんだったのね」
「はい。お酒の状態はいつ急変があるかわかりませんから、部長クラスがいつも詰めているようにしています。迫水は今、来客対応中ですが……」
ちょうど、会議室の扉が開いた。今朝の刑事さんがいる。
警察官が弱々しくうなだれたお爺さんを両脇から抱えている。
「逮捕ではなく、任意同行です。よろしいですね」
お爺さんは、弱々しくうなずく。
「あ、皆さん、事件はほぼ解決です。ご協力、ありがとう」
刑事さんは、目の下にクマを作っているものの晴れやかだ。
「まさか、その人が犯人?」とメリーさん。
「第一容疑者です」
「それはおかしいの。犯人は今、本家の会議室で舟をこいでいるはずなの!」
……メリーさん、その自信はどこから出た!?
「犯人は館長の遺産相続人、あるいは、会社の経営方針で対立した誰かです。本家では今、館長の相続をめぐって大論争がおきているはずです。蔵ミュージアムと、その裏の空き家について。つまり、これは遺産が狙いで起きた事件なのです。犯人はあらかじめ仕掛けをしておいたハシゴを、夜中にすり替えたのです。それができるのは、館長が『子供部屋』に籠もる癖があると知っていた人、そして『ほんまもんの京都生活』の日定を知っていた人――身内です。夜中にこっそり忍び込んでハシゴを交換するだけの簡単な犯罪。犯人は、その機会をずっとうかがっていたのです。それを自分が夜勤の日に行うバカはいないのでーす!」
刑事さんは、メリーさんを制止する。
「ああ、わかったわかった。参考にして捜査を進めるよ」
警官に命じて、虚脱状態の迫水さんを近くの椅子に坐らせる。
「今、行くのです。すぐ行くのです。犯人は今頃、猛烈な眠気に襲われているはずなのです!」
メリーさんの猛烈な剣幕に、警察ご一行はその場を逃げ出したのだった。
刑事さんたちは、その足で本家の大広間に向かったらしい。そして、居眠りをしている神館某を問いただした、のだろう。事件はすぐに解決した。メリー・ウィンチェスターという最大の功労者の名前は伏せられたまま。私たちがそのことを知るのは、数日後のネットニュースで、なのだが。
不殿先生が男子学生を引き連れて戻ってきた頃には、私たちはすっかり堕落した女子大生に戻っていた。
「私は今日はもう寝ます。明日は修了日やし、寝坊したらあかんえ」
センセは奥座敷に引っ込む。警察の取り調べがこたえたようだ。
二階に登った私たちは、ダベるしかなかった。
学校のこと、参加した男子学生のこと、京都のこと。
寧々さんが、突然言った。
「聞いて。うち、子供部屋の意味がわかったんよ。あれ、トレーニングルームや!」
「は?」
「田舎から出てきた見習いの子ら、高いところに登るのが怖い子もおるやん。あそこを寝部屋にしたら、いやでもハシゴに登ることをおぼえるやろ。そしたら、のちのち作業も楽にになる」
私も思っていたことを話す。
「あそこ、病室だったんじゃないかな。疱瘡――天然痘って、戦前までは大流行を繰り返していたらしいのよ。致死率は五十パーセントくらい。そこで、隔離病棟にした」
「それなら麻疹――はしか、の方が多かったやろね。はしかにかかったことのない人が田舎から働きに出てきたら、重症になったやろしね」
こうして、「ほんまもんの京都生活」の最後の夜はふけていったのだった。




