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異世界転生した九十八歳のおばあちゃんです。転生先で再びおじいさんと出会いました。  作者: 丹羽坂飛鳥


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心弾む時間

 離れないと約束してもらえたとはいえ、サラリーマンはお仕事に行かなくてはならない。

 外出する前の太一郎さんに邸宅の調理場に連れて行ってもらうと、料理人やメイドたちに「妻だ」と紹介してもらえた。


「ご主人様に、妻……!?」


「そんな、……っ」


 あら、なぜかメイドたちに睨まれているわ。

 これは……定番の嫉妬イベント発生では!?

 みんな主人であるおじいさんのことが好きなのかもしれない。堅物だけど誠実でいいって、居酒屋の女将にも好かれていたもの。


「あ、でも、ティロウ……さん……様?

 念のため尋ねますけれど、女性とは『ちょっと遊んだ』って言っていたじゃないですか。

 まさかあなた、メイドに手出しはしていないですよね?」


「出していない。あと、俺のことは呼び捨てでいい。

 アイリーン。アサは世界中を行脚していたが、この国のことには慣れていない。親しくしてやってくれ」


「……っ……はい、ご主人様……」


 あらあら、一番睨んでいたのに申し訳ないことを。

 若い娘さんが出て行った太一郎さんを目で追っているけれど、昔から朴念仁だったから気づいていないのでしょう。彼女には私から握手の手を差し出した。


「アイリーンさん、初めまして。どうぞよしなに」


「っ……ご主人様が『神の寵愛を受けし者』を連れてきたとは聞いたけれど……突然妻として扱われるなんて、どうやって惑わせたのかしら。

 言っておくけれど、ご主人様はティルダーロの一柱よ。悪魔大帝にも認められている、凄い方なんだからねっ」


 なるほど、太一郎さんは仕事一筋の人だったから、転生先でも頑張っていたのかもしれない。

 部下にも慕われる人だったのを思い出したけれど、おかげで少しだけ苦い記憶も蘇ったから、笑顔で封じた。


「そうですねぇ……男性は胃袋を掴むのが一番ですよ。

 たいちろ……ティロウ……? にも、だからこそ『料理を作って欲しい』とお願いされましたからね」


「ねえ。妻なのに、さっきからなんで名前があやふやなのよ」


 呼び慣れていないだけです。


「さっ、さあさあ、お料理は仕込みに時間がかかりますからね。食材も知りませんし、さっそく始めさせてくださいな」


 不満そうなアイリーンには悪いけれど、厨房の料理人たちにもさっそく食材を見せてもらった。

 手足が二十本ある蛸に、手足が生えて動いているセクシー野菜がとんでもない状況になっている。

 さすが異世界、見たことがないものばかりだ。

 使えそうなものを少しずつ味見したけれど、その中に色は黒く、塩味が強く、しかし風味やほのかな甘さもある調味料があった。


「それはご主人様が一番好きな調味料よ。醤油。

 でも食材にかけて食べるものだから、料理になんて使わないけれどね」


 ああ懐かしい、あの人は料理もしない人でしたね。せいぜい冷奴に醤油を自分でかけるくらいでした。

 こんなところでも太一郎さんを感じてほっこりすると、食材を並べて考えてから調理にかかった。

 異世界の皆様には何を作っているのかさっぱりだったみたいだけれど、太一郎さんの好物ばかりだ。

 味見するとアイリーンも「美味しい」なんて言ってくれたから、エプロンを外しながらも笑ってしまう。


「……なにをしたのよ。醤油ばかり使っていたのに、全部味が違うじゃない」


「分量を変えればメリハリが出ますからね。

 お醤油は風味づけのためだけに使ったりするのもいいですよ、香りもご馳走です」


 アイリーンも複雑そうに考えていたけれど、太一郎さんの胃袋を掴む気らしくメモをとっていた。

 ……子供に料理を教えているようで、なんだか憎めない。中学生くらいのみっちゃんが、お父さんのために一生懸命料理をしていたのを思い出してしまう。


「ティロウ様がお戻りになったぞ」


 アイリーンと話をしていると、お昼には一度戻ると言っていた通り、黒髪を風に靡かせるようなアイドル顔の悪魔が屋敷に戻ってきた。魔法でワープできるから通勤ラッシュとは無縁らしい。

 食卓についた彼に差し出したのは、完全に異世界とはかけ離れたものばかりだ。

 それでも太一郎さんは見るだけで唇を綻ばせている。


「……懐かしいな」


 碧眼に映るのは鳥の炊き込みご飯と焼き魚、ほうれん草の胡麻和えに、きのこのおすまし。卵もあったから、だし巻き卵におろし大根も添えた。

 おじいさんは和食が大好きだったから、異世界とは合わないかもしれないけど和食責めだ。

 私が一緒の食卓について手を合わせると、彼も同じくした。


「いただきます」


 優しい声で両手を合わせた悪魔が、まずはおすましから口にする。……お出汁の味をじっくり噛み締めながら食事をしている。

 私も口にしたけれど、異世界食材でも味見した通りちゃんと美味しく出来ている。

 娘や孫が育ってからは「火の始末が怖いから」と言われて料理を食べるばかりになっていたけれど……幼少の頃から毎日五十年近く続けたことは忘れたりしない。


「……あさ」


「? はい、なんでしょう」


「いつも美味しい料理をありがとう」


 男性は妻相手に、感謝の言葉を伝えたりしない。

 現代ではあり得ない価値観だけれど、優しい太一郎さんからも、ついにその言葉を聞くことはなかった。


「一度だって、言ってやれたことはなかったから。

 ……言いたくなった」


 勝手に込み上げてくるものがあるのは、歳をとると涙腺が緩むからだ。

 太一郎さんが今日も生きて、一緒にご飯を食べてくれる。

 それだけで嬉しいなんて、作ってよかったなんて、思うことも……朴念仁のおじいさんは、知らない。


「あさの料理が恋しくなるたび、どう作ってくれていたのかも、何もかも知らずにいたことを後悔していたんだ。

 子供を背負いながらでも、毎日続けてくれたことも……何もかもに、感謝している」


 何を食べても喉に詰まるし、塩気しか感じなくなるからやめてほしい。誤嚥は高齢者の死因の一つですよ。

 涙を見せたくないから持たせてもらっていたハンカチで拭くと、落ち着くためにもおすましを口にした。


「こうして一緒に食べてもらえるだけで、いいんですよ。

 お昼に帰ってこられるお仕事でよかったです。これからもお時間のあるときは、ご一緒してくださいね」


「ああ。約束する」


 いつも賑やかだった食卓で、静かに食べていた夫が、今日も一つずつ味わってくれる。

 食事を終えると最後の一品があるから、すぐに調理場に取りに向かった。


「さあさあ、美味しいお茶が入りましたよ」


 食卓に急須がわりのティーポットとカップを並べていく。

 私も頂いたけれど、異世界の緑茶は苦味も少なく、香り豊かで甘くできている。美味しい。

 太一郎さんも尖った耳を少しだけ下げながら啜ると、落ち着いたように息を吐いた。


「あさがいつも入れてくれるお茶の味だ。……湯を入れるだけなのに、どうしてもこの味が出なかった」


「ふふ、年季と愛情が違いますからね」


 二百年経っても妻の味を覚えていてくれた人が、美味しそうにお茶を啜っている。


「はっ、これはもしや、レシピ本を書いて売ったら売れますかね……!?」


「レシピ本?

 ……そう、だな……できないことはないと思うが……文字の読み書きができてからの方がよくないか」


 確かに。イラストだけでは大さじも小さじも伝わりにくい。

 ……絵が得意じゃないから動画のサムネも作るの大変でしたっけ、がっかり。


 人生の延長戦は、初めからうまくいかない。

 でも大好きだったおじいさんが食事をして笑ってくれる……そんな特別な体験だけはあるからいいかなんて、二番煎じも美味しく飲んでくれる太一郎さんに差し出した。


「あら、私が文字を書けなくても……よく考えたら、たいちろ……ティロウが、一緒に書いてくれてもいいんですよ?」


「……ああ、そうか、代筆してもいいのか。

 あさの料理の作り方を俺も残しておきたいからな……わかった、手伝おう」


「あら、代筆じゃダメです」


「ん? 一緒に書くんじゃないのか」


「ついでに文字も覚えたいですから。こうやってバックハグしながらでお願いします」


 むぎゅ。

 お茶を持って逃げられないおじいさんにバックハグしてみると、尖った耳がそばにあるから声を吹き込んだ。


「こうやって手を取って、ペンを一緒に持って、数字も何もかも教えてください。

 何度も書いていれば、これが大さじ小さじ、数字は何、とわかるでしょう?」


「………………っ……恥ずかしいから、却下だ」


「あら、相変わらず気の小さい人ですねぇ。

 ……ほら、お耳が赤くなっていますよ、太一郎さん。

 こうやっておそばにいたい気持ちもあるんですから、ちょっとくらいイチャイチャしながら教えてくれてもいいじゃないですか。ね? お願いですから……一緒に書きましょう?」


 言い出したら聞かない妻相手に負け戦だと悟ったらしい太一郎さんは、真っ赤になった顔を覆って頷いてくれた。

 その後はお茶を啜って二人で話し合う、優しくて恋しい時間が過ぎていく。

 ただ異世界でお食事をするだけなのに、心弾む時間を楽しんでしまった。

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