レッツ異世界?
さあついに憧れの異世界転生ライフ!
部屋に置かれた椅子に座ると、悪魔に転生した太一郎さんに借りた本をさっそく読み始めた。
「……おじいさん。ここには何と書いてあるんですか」
「『悪魔大帝』だ。……もしかして、言葉は話せても文字は読めないのか?」
待ってほしい、普通の転生ストーリーなら言葉も話せるし、文字も何もかも読める状態で転生するはずだ。
しかしさっぱり理解できない横文字が並ぶ本を見せると、覗き込んだ若いアイドル顔の悪魔が「こう読むんだ」とページに指を滑らせた。
「『アヴィル帝国には悪魔大帝により、貴族制度が敷かれている』……」
「あら? 外国語みたいに今、指が戻りませんでしたか」
「読み方は外国語と同じ並びになっているな。
主語、動詞、目的語の順番で……目を潤ませるようでは、読むのは無理そうだな」
なんということでしょう、さっそく異世界ライフ詰みセーブのお知らせです。スキル取り間違えなんて重症です。
「すっ、スマホはないでしょうか。最新式のグッドフォーン21があれば、おばあちゃんにでも読めるっ……あ、でもここ、ネット環境も充電器もなさそうですね……」
この世界に便利な家電製品がないことは、太一郎さんが連れ帰ってくれた邸宅で確認している。
部屋を照らすのは魔石で出来た明かりで、魔力を通せば朝まで光るらしい。いわゆる蓄電池式で、消すときは魔力を取り除けばいい。うーんファンタジィ。大好き。
「しかし今は自分が魔法を使えるかもわからない状態っ。……現代でも私、外国語は読めなかったんですよねぇ……。
外国に行くときは手のひらサイズの翻訳機をもらえましたし、最近はスマホのカメラをかざすだけで翻訳できる機能も追加されましたから、覚えなくても海外にいけたんです。
そうか、そういった便利機能がこの異世界にもあるのでは!?」
「魔法で大抵のことはどうにかできるが、文字を読める魔法は俺も知らないな……」
ガッデェム。
どう見てもイラスト以外は理解不能だし、同じ文字が多用されているのも地名だけだ。アヴィル帝国がこれ……あれ、こっちだったっけ?
若返ったから物覚えはいいはずだけれど、このままではにっちもさっちも行かないから、顎に手を当てて思案顔のイケメン悪魔を見上げた。
「転生した私が文字を読めないなら、おじいさんも同じだったはずでは?
太一郎さんはどうやって文字を学んだんですか」
「……そうか、生まれた時から見ているから、徐々に読めるようになったのかもしれないな……こちらの世界でも子供への絵本の読み聞かせはあるし、文字の練習もさせるから自然と身についたんだろう」
「読み聞かせですか。
そうですね、子供が生まれたら私も自分で絵本は読んであげたいです……。
あ、話は変わりますが悪魔と『神の寵愛を受けしもの』の間に、妊娠から何日で子供ができるんですか? 十月十日ですか」
「ん? いや、伝承によると一年はかかるそうだ。
俺が不老になるのは子を授かった時で、生まれた子供は人よりも遅く育つ」
「犬と猫みたいに他の種族同士じゃ子供ができないわけじゃないんですね。
よかった、ちゃんと伝承があるのなら太一郎さんの不老も夢じゃないですね」
若いアイドル顔の悪魔を見上げながら、不安に感じていたことが解消されたおかげでスッキリした胸を押さえた。
「まさか悪魔族と神の以下略との間には子供ができないんじゃないかと、私だってちょっとだけ心配だったんですよ。
だから今から妊娠が楽しみです。ちゃんと産みますから頑張ってくださいね、太一郎さん」
頬が赤くなった悪魔が、慌てたみたいに顔を逸らした。
相変わらず奥手な太一郎さんが可愛いから、孫にするみたいに抱きついてのほっぺすりすりも実行した。
温かい。……太一郎さんがいなくなってから、どうしても拭えなかった寂しさが晴れる気がする。
おじいさんは恥ずかしいらしく抱き返してはくれないけれど、心臓の音はさっきよりも速くなっている。
気が小さいから妻にだって簡単に手も出せないのが太一郎さんだったし、少しだけ指を動かして握りしめる動作だけで、顔がニヤけてしまう。
「アサは、随分大胆になったな」
「あらあら、何を言っているんです。可愛い子にハグをするのは挨拶みたいなものです。
せっかく若返ったんですから、今生では太一郎さんといちゃつきたいのもありますよ。おばあちゃんにだって推し恋への憧れがあったんです。
ふふ、だからしばらくは驚いても跳ね除けずに耐えてくださいね。
少女漫画のパターンを全制覇して飽きるまでは、太一郎さんが驚くようなこともするかもしれませんからね? ……っ!?」
転生して若返ったおじいさんが、ようやく抱き返してくれた。
心地よい心臓の鼓動を聞いていると、時間だって忘れてしまう。
……好きな人と一緒にいたい気持ちは年齢を重ねても変わらないのを感じながら、太一郎さんの背広を少しだけつまんだ。
「さ、さて、元気も出ましたしさっそく動き出しましょう。
私も長男を産んだ時に頑張れば文字を覚えられたんですから、苦手な外国語でも学び直せば良いだけです。
そうだ太一郎さん、この世界に学校などはありませんか?
太一郎さんはお勉強がお得意だったはずですから、実は学校の教師とかしていませんか」
「学校は、この国にはないな……アヴィル帝国では家庭教師から知識を学ぶのが基本だ。
後で俺から頼んでおくから、連絡がつけばアサにも教える」
「あら、ないなら学校を経営するのもアリですかね?
異世界転生ものの学校経営は華がありますし、シミュレーション系ゲームなら国力も上がって良い感じですよ」
「魅力的な提案だが、ここは悪魔だけの国だから実現するかはわからないな。
定着すればいいが……俺も今は別の仕事をしている。公共機関への書類の提出などは手伝えるが、本業にはしてやれない立場だ」
「あらあら、ここは裕福そうな家ですし……もしかしてご職業は領主とかですか?」
「領主なら少し離れた街にいる。
アサにわかりやすくいうなら、俺は普通のサラリーマンだ」
「ああ……気が小さいから大きくは儲けられない、コツコツした人でしたもんねぇ」
顔を覆ってしゃがみ込んでいますが、どうしたんでしょうか悪魔さん。現実が辛いのでしょうか。
「ま、まあ、俺の没後もさまざまな時代の変化があっただろうからな。
まずはアサの思うままにやってみるといい。俺もやりたいことがあれば手伝おう」
そう言った太一郎さんが、部屋にかけられた時計を見ている。
この世界にも時計はあって、魔力変化を読み取って時間を示すらしい。
転生者にもわかりやすく二十四時間表記となっていて、今は午前八時だ。サラリーマンならお出かけの時間かもしれない。
「今日は仕事があるから出かけるが、昼には一度戻るつもりだ。
……アサに一つだけ、頼み事をしてもいいだろうか」
「頼み事? なんでしょう」
「昼食を作ってほしい。
慣れない場所で頼んで悪いが……久しぶりにアサの手料理が食べたいと言ったら、嫌か」
照れくさそうなおじいさんの肩を、思わずポカポカ叩いてしまった。「痛い痛い」なんて、肩たたきしなくても良くなった若い悪魔が笑っている。
「太一郎さんは家に帰ってお食事をするのが好きでしたね。
なら妻の手料理が食べたいなんて可愛いお願いは、聞くしかありません。
任せてください。私も数年ぶりの調理ですが、体が覚えていますから。美味しいものを準備して待っていますよ」
「世界自体が違うから、食材も違うものになるが……」
「海外で旅費を浮かすために、現地のスーパーに行ってご飯を作るようなものでしょう?
あっくんがそういった倹約が上手で。おじいさんに似て堅実なんだろうと評判でしたよ」
「あきよしが……アサを連れて出かけることは、なかなかしてやれなかったが……俺のいなくなったあとは家族で海外旅行も楽しめるようになったのか」
「いやですね、家にいると私がどうしても太一郎さんを探すからですよ。
外出するのが痴呆症への対策にも良いと病院の先生に言われて、子供達が気を遣って観光に連れ出してくれたことが、おじいさんがいないことを紛らわす良い方法になっていましたからね」
いつも一人の縁側で、何もすることもなく太一郎さんの煙が昇った空を見つめている。
何もやることがなくなって、すぐにでも私が後を追ってしまいそうだからと、観光案内の本を持ってきてくれる子供達がいたから、私は長生きできた。そう思っている。
話を聞いて複雑そうに尻尾を下げた悪魔を見ていると、……気づいたら腕の中でギュッとされていた。
意外な男気にドキドキしてしまって動けずにいると、頬にキスされてしまった。
「今度からは、ずっとそばにいる。……もうアサを寂しがらせたりはしない」
耳が熱い。
でも込み上げる嬉しさのまま、私からも頷いて……一緒に座っていた縁側の陽だまりのような温かい体に、頬を擦り寄せた。




