プロポーズとメイドの想い
「奥様は、プロポーズされた経験はありますか」
小声のアイリーンにそう聞かれて度肝を抜かれたのは、お昼下がりに食器を一緒に洗っている最中だった。
なぜ小声なのかしら?
そう思いつつも周囲のティロウ推しに配慮したのかと思ったから、私もお皿についている泡を流しながら、彼女にだけ聞こえる小声で伝える。
「先日、正式にプロポーズされたばかりよ。ホテルレストランでディナーをいただいた日。シェフが有名なだけあって、ご飯もおいしかったわ」
「ああ、あの日ですか。もっと前かと思っていました」
「もっと前?」
「ご主人様が奥様を連れてきた日よりも前ですよ。
……ティルダーロで事故があって、ご主人様もお忙しいというお話だったんです。
なのに奥様が突然やってきたので、プロポーズはとっくに終わっていたものだと……」
ティルダーロの事故。……もしかして私が転生した頃かしら。
内容を察しながらも話を聞いていると、アイリーンは水を切ったお皿を拭きながら首を傾げている。
「しかし予想外でしたね、プロポーズはご主人様が奥様と大事な話があると言って出かけた日ですか……。
指輪が増えましたから、メイドたちの間では『あの日は二人だけの結婚式を挙げたんじゃないか』なんて話題でしたよ」
確かに結婚式かもしれない。指輪の交換をしたし、あれからティロウも指輪をつけたまま生活してくれている。
私は左手の小指と薬指の両方に指輪が付いたから社会科のバルデル先生に「独占欲が見える」なんてからかわれたのに「アサを誰にも渡さないという意思表示で合っている」なんてティロウは堂々と肯定するし……おじいさんったら肝が小さいくせに、腹は据わってるんですよねぇ……はっ、油断していたら泡でお皿が滑りそうになったわ。
「でもアイリーンがプロポーズの話題を出すなんて珍しいわね、何かあったの?」
「えっ……あ、それは……興味……そう、興味があって……です」
「興味?」
「……」
アイリーンは言い淀んでうつむいてしまった。
けれど興味だなんて、普段から敬愛する主人との関係を興味本位で聞くような子ではないのに……どうしたのかしら。
周囲に聞くように言われているわけでもなさそうだし、むしろ小声で周りにも聞いてほしくなさそうだから、アイリーン個人に何かあったのかもしれない。
アイリーンは私と目が合うと、何か言いたそうにしながら目をそらす。名探偵じゃなくてもこれはぴーんときてしまう。
「もしかしてアイリーンもバルデル先生に、正式にプロポーズされたの?
それとも、いつもふざけてでも言う方だから、どう対応すればいいのか聞いてみたくなった?」
「え? いえ、あのお客様がメイドに本気になるわけがないです。
……わかりました、正直にお話します……プロポーズしてくれたのは故郷のいとこなんです。
真面目で、誠実で。ご主人様にも似て堅実な人で……でも結婚したら彼の家業もあって、故郷に帰らなくてはならないから……受けるか悩んでいるんです」
「なるほど、仕事と結婚を両立出来ないから悩んでいるのね」
頷きながら食器用のふきんを魔法で洗濯乾燥させたアイリーンは以前『ティロウに不幸な境遇から救ってもらえた恩がある』と教えてくれた。
今は敬愛する主人のところで、自分が任されている仕事もある。
なのにいとこと結婚すれば主人から離れることになるとあれば、プロポーズも受けにくいはずだ。
アイリーンはため息を吐きながら、再び濡れたお皿を拭いている。
「結婚しても出仕させて欲しいと伝えたんですけど、……メイドの仕事はやめて欲しいと言われていて。
家庭に入って欲しい気持ちはわかるんですけど、私、お屋敷の仕事をやめたくないんです……。
奥様だったら、どうしますか。いとこからのプロポーズ、受けますか」
「……私だったら、そうですねぇ……」
結婚と仕事を両立できない場合にどちらを選べば良いか。というのは子や孫にも相談されたことはある。
けれど九十八年生きたおばあちゃんにも結局、答えは出なかった。
だから私は少しでも前向きになれるように、いつも選ぶ選択肢がある。
「うん、やっぱり私なら『自分が後悔してもいい選択』をします」
「……え。『後悔しない』ではなく『後悔してもいい選択』……ですか?」
「そう。人生の大きな分岐点で悩んだときに、後悔しない道を選ぶのは難しいでしょう? 選んだ先で嫌なことがあったら、選べなかった道の先が見たくなって悔やんでしまう。
でも『この選択で後悔してもいい』……そう自分が決めたなら、あとは突き進むだけになれる。選ぶときに『自分は後悔する』と分かりながら道を選んでいるんですからね」
老衰するまで生きても、現実は正しい選択肢が出てくるゲームのようにはならなかった。
神様は正解ブザーなんて鳴らさない。だから後悔しない選択肢だったかどうかも振り返れない。
それはこの異世界であっても同じことだから、戸惑っているアイリーンに笑いかけた。
「ようは心構えの問題ですよ。
『後悔しない道』なんてありがたくて立派そうなものは、誰にもわからないんです。
だから後になって後悔しても『私はこれでいいって決めた』と自分に言い聞かせて前を向き続けられることが『後悔してもいい選択』の強みです。
悔やんで泣いても、今のは最初からわかっていた後悔だった、していい後悔だった、なんて思えたら少しはマシになるでしょう?」
アイリーンはますます悩んだようにうつむいてしまった。
でも私が『そうした方が良い』と導いて道を決めてしまうことは、選んだ先を保証してあげられない以上、無責任だからできない。
……こういうとき、ティロウだったら何というかしら。アイリーンにとっても何が一番いいのかしら。
また悩みながらお皿を洗っていると、受け取って磨く彼女がため息を吐いた。
「……私……本当は……奥様とこうして働くのも楽しいと、……そう思っているから、帰りたくないんです」
「え?」
思わず振り返ってアイリーンを見つめた。
けれどメイドの少女は恥ずかしそうに私を一度だけ見ると、平皿に向き合いながら苦笑している。
「見知らぬお料理も勉強になりますし、作るたびに状況が違うのに、奥様はうまく対処されますから。
ドワーフの宴会料理、一緒に作るのも楽しくて……大勢に指示を出している格好いい奥様を見たら、今度は何が起こるのか、ますます見ていたくなるじゃないですか。
メイドのみんなも少しずつ奥様を認めるようになって、お屋敷の雰囲気も良くなってきているし……だからずっとお屋敷にいたい……奥様のお力にこれからもなりたい、なんて思いもあって悩んでいたんです」
「アイリーン……っ」
最初は嫌われていたのに、いつの間にか慕ってくれていたのが嬉しくて胸が締め付けられる。
アイリーンは話しながら、迷いの晴れた目に変わって笑っている。
「奥様のおすすめ通り、私は私自身のために『後悔してもいい道』を選ぶことにします。相談に乗ってくださってありがとうございます。
――さあ奥様、このお話はおしまいにしましょう。
お皿洗いは私に任せて、家庭教師の先生をお迎えするご準備をしてください。ほら、お客様のいらっしゃるお時間が迫っていますよ」
胸に募る気持ちを伝えたいのに、息が詰まってすぐに伝えられないのがもどかしい。
それでもアイリーンが自分で考えると決められたことが大事だから、私も授業準備のために、明るく手を振る彼女と別れた。




