社会科、バルデル先生
街歩きしても、ナンパされるなんてことはおばあちゃんにはあり得なかった。
若い頃には少しくらいあったかもしれないけれど、おじいさんがいつも助けてくれたから困ることもなかった。
「君さぁ、ヴァレスト邸から来てるんでしょ? メイド?」
「可愛いねー、俺たちと遊ぼう。最高の夢を見せてあげるよ」
ナンパされるとか伝説だと思ってたんですが、意外に身近にあるんですね!?
たまには街まで歩いてお買い物に行こう。
そう決意した私は、太一郎さんがお仕事の間に地図を見ながら歩いていた。
前方と足元に集中していただけなのに、街に着いた頃には後ろにインキュバスも混じった集団がいて、絡まれてしまった。
「ねー無視しないで。可愛い子が独り歩きなんて、法律違反だよ?」
「そうそう。悪魔大帝の法に則り、君を逮捕しまーす」
そんな法律初めて聞きました。社会科のバルデル先生なら絶対に教えてくれるはずなのに。
いやいや、構ってはいけない。こういう時は無視して逃げるに限るって、ひ孫のゆうちゃんが言ってた。
しかし無視してもついてこられて、集団はどこに連れ込むかを相談している。
しまいには手を取られたから、驚いて振り払おうとした。
「あの、やめてください。私はヴァレスト邸のメイドじゃないです。勘違いでついてこられても困ります」
「えー、ずっとつけてたけど気づいてなかったでしょ? あそこのメイド狙ってたから、見張ってたんだぁ」
「ヴァレスト邸のメイドってプライド高くて警戒心も強いのに、君は無防備で可愛い。俺好みだよ」
ひいい、屋敷から街までストーカーされていたなんて知らなかった。
しかし私には防衛手段がない。
日々魔力の訓練をしていても、お風呂のお湯を六十cc出せるようになっただけだ。ちょっと増えたけど今は役に立たない。
……あれ?
太一郎さんがくれた守護の指輪が温かくなっている気がするけれど、黒石に太陽が当たっているからでしょうか。
太一郎さんがそばにいて、手を優しく包んでくれているような不思議な安心感がある。
何も見えないけれど全身がふわふわの膜に包まれて、無敵状態な気がする。ケルベロスの噛みつき攻撃も今なら無効にできそうだ。
判断がつかないから小指を見つめたけれど、男性たちは関係なく私の腰を持ち上げた。
「裏に連れて行こうぜ」
「大丈夫、俺らのことしか考えられなくなる……よ…………」
ドサッ。
その場にいた全員が、言葉もなく倒れた。
「え、あ、あの……? 大丈夫ですか?」
脳卒中や心筋梗塞かと恐る恐る様子を伺ったけれど、呼吸はしている。横倒しになった悪魔は眠りの魔法がかかったみたいに安らかな寝顔だ。
指を引かれた気がしてその場を離れると、温かかった守護の指輪が少しずつ元の温度に戻った。
……何があっても太一郎さんがそばにいて、守ってくれる。
そんな感覚だったから、小指を包みながら笑ってしまった。
きっと異世界慣れしていないから、何があっても大丈夫なように魔力を込めてくださったんですね。ありがとうございます、太一郎さん。
ナンパ師たちから離れたら、気を取り直して街歩きを始める。
悪魔の世界を一人で見学するのも学びが多くて、食文化や公共施設など、授業で習ったことを実際に目に出来るのは最高の機会だった。
意外なことに、魔石屋さんは国の一元管理を受けているから公共施設らしい。
石の値段も流通しやすいように手頃だと社会科の授業でも習った通り、風の魔石も水の魔石も小粒なら九百ルデイルだ。安い。
購入した紙袋を手に、次は金属加工のお店へ足を運んでいる道中のこと。
「よっしゃ俺の総取りー。やー今月カツカツだったから助かるぜー」
通りの向こうでサイコロ遊びをしている人たちがいて、その中に見知った顔があった。
黒サングラスをかけた赤い髪の派手な服装の悪魔で、言動も先程のナンパ師に匹敵するくらいチャラい。
ちょうどゲームが終わったらしく立ち上がった彼に、私から声をかけた。
「バルデル先生、こんにちは。今日はお休みですか?」
「あれっ、アサちゃん? ぐうぜーん。
俺は完全にオフの日。でも遊ぶ金がないから寄付してもらってました。そうそう、これは寄付ね、寄付」
昨今は表現するのも悩む行為ですね、分かります。
教育者として私に向き合った社会科の先生は、太一郎さんと同じくらい背が高い。
綺麗な手が絶望に打ちひしがれる同卓の方から離れるように促したから、一緒に歩き出した。
「アサちゃんもオフ? ティロウは仕事だったはずだから、もしかして一人で来たの?」
「はい。アクセサリーを作ろうと思ってお買い物に来ました。
先生が教えてくださったように魔石の価格が安くて驚きました」
「アヴィル帝国は全属性の魔石が鉱山にあるし、悪魔大帝ディールの望みも『無駄なく魔石を使って国がどの種族よりも発展することだ』ってことだからね。社会科の重要さ、実感してもらえた?
じゃあせっかくだから今日は課外授業しようか。買い物なら荷物持ち要員として付き合うよ」
「あらあら、そんな。時間外まで頼るようなことはできませんよ」
「帝国慣れしてないアサちゃんを『一人にしたのか』ってティロウに責められるのヤだから、一緒に行きたいなぁ。
俺みたいなのにアサちゃんが絡まれても厄介だし。ね、お願い?」
すでに絡まれましたとは言えない。
悩んだけれど……バルデル先生を男性として警戒しているのなら、太一郎さんは近づけもしないはずだ。
妬かないのかも一度聞いたけれど、かなり悩んだ末に『授業力は確かだ』と実力を認められていた。
何より、小指のリングが全く反応を見せない。
私の返答を待つバルデル先生にとっても、初めてのお使いに出た子供を見守りたい気持ちなのだろう。おばあちゃんも慣れない街で子供を単独行動させる不安、分かります。
「では……お願いします。ティロウにも先生がご厚意をかけてくださったこと、お伝えしますね」
「助かるぅ。あいつアサちゃんのこと、めちゃくちゃ大事にしてるからさ。誤解されるのが怖いんだよね。
自分じゃ言わないと思うけど、アサちゃんのことが好きで好きでたまらないんだって。
『共に命の尽きるまで添い遂げる』なんて俺にも堂々と宣言したんだよ? 研究一筋だったのに変わったなぁ、って驚いた」
太一郎さんに今日は魚の味噌煮を出しましょう。好物の一つでしたよね。美味しい針生姜の甘酢漬けも添えてあげましょうね。
「あ、でもバルデル先生にも恋人がいるのでは……?
私と一緒では誤解されませんか」
「好きな子はいるけど、まだ恋人じゃないよ。
……あれ、もしかしてティロウから聞いてない?」
「色恋沙汰を話題に選ばない人なので、バルデル先生のお話は聞いたことがないと思います」
「じゃあ今度聞いてみて。名前は秘密だけど、ヴァレスト邸のメイドの女の子だよ。
ということで、今日はアサちゃんのこと送って帰ってもいい? ついでに彼女の顔見て帰りたいからさ」
「……まさか家庭教師にきたついでに、好きな女性に会って帰っていたんですか?」
「イエス。これは教師の特権です」
こんな調子で身軽なバルデル先生に、社会科の解説を聞きながら街を歩いた。
金属加工屋さんで作業もしたけれど、博学な彼に聞けば歴史なども交えて解説してもらえる。
魔石の使い方の指南までしていただけたときには、彼がいなかったらどうなっていたことやらと胸を撫で下ろした。
邸宅に戻るとバルデル先生は私に荷物を返して、明るく手を振っている。
「それじゃ、ここでお別れ。俺に合わせてくれてありがとう」
「いえ、先生こそお付き合いありがとうございました。楽しかったです」
太一郎さんと同じ便利ワープで消えた先生を見送って、手にした紙袋をお部屋に隠してから厨房に向かった。
夕飯の支度をして太一郎さんをお迎えしたけれど、魚の味噌煮は好評で、美味しそうに味わってくれた。昔から針生姜をちょっと乗せるのがお好きでしたよね。
お部屋に戻ると太一郎さんにバックハグをしてみたけれど、腰が細いから彼の体に腕が回りきって、密着できるのが嬉しい。
ぎゅーっと強く抱きしめてしまうと、暖かい指先が私の手の甲に触れた。照れくさそうなアイドル顔が振り返っている。
「どうした。……ずっと嬉しそうにしているが、何かいいことでもあったのか」
「はい。お買い物に出たんですけど、ナンパされて困っていたら守護の指輪が私のことを守ってくれたんです。
そばに太一郎さんがいるみたいでした……心強かったですよ」
左手の小指についている守護の指輪には、様々な紋様が彫られている。
バルデル先生が見たところ、魔力容量いっぱいに魔法がかけられていることを教えてもらえた。
かなり複雑で考え尽くされた設計だ、なんて聞いたら……太一郎さんが私を本気で守ろうとしてくれたことも伝わってくる。
大好きな人の背中に「感動のほっぺすりすり」をしてしまうと、彼は気恥ずかしそうに尖った耳を下げた。
「人間ならまだしも、ここは悪魔の国だからな。
アサには対処が難しいことも、代わりに請け負えたらと思っていたから……役に立ったのならよかった」
「おかげで買い物もたくさん楽しめました。
そうだ、バルデル先生とも今日はお会いしたんです。
お買い物も、屋敷までの荷物持ちにもお付き合いいただきましたよ」
「そのことなら本人からも申告があった。
メイドへの懸想もアサには話したと言っていたが……バルデルが食うにも困っていたところを、飴玉をもらって慰められて以来の仲らしい。
しかしメイドはバルデルの気持ちには気づいていない。だからたまに恨み節を聞かされる」
エモい。おばあちゃんでも思わず悶えるくらいエモい。
好きな子にティロウ推しされていたら、バルデル先生も辛いですよね。
私も一途な先生に手伝っていただいたものがある。
ティロウ最推しの一人として勇気を出し、手足をギクシャクさせながらでも部屋に隠していたプレゼントを持ってきた。
「はい、太一郎さん。
実はこれを作るために、街に出たんです。よければ使ってください」
「これは……風と水の魔石のネックレス、か?」
「男性でもつけやすいデザインを目指して、小さな魔石をワイヤーラッピングしてみました。
……最近、職場が暑いと言っていたじゃないですか。
そこで、現代では大流行りの『首にかけられる扇風機』を作ってみたんです」
太一郎さんが身につけて、魔石に触れて少しだけ魔力を流した。
すると冷風が首に当たるよう調整してあるから、彼の黒髪がなびく。
「冷たい風が少しあるだけで体感温度が違いませんか?
昔の家庭用エアコンは小さくなんてなりませんでしたけど、今は保冷バッグを扇風機の背中につけて風を送ることでエアコン代わりにしているんです。
登下校のひ孫たちにも用意していましたから、魔石で再現してみました。
お仕事の時にでも、よければ使ってくださ……あら、どうしたんですか?」
両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいますが、どうしたんでしょうか、悪魔さん。目でも痛いんでしょうか。
「ってそうですよね、扇風機の風を当てすぎるとドライアイになるとか、問題もありましたよね!?
すみません太一郎さん、そのサイズの水の魔石じゃ潤いが足りませんでしたか、作り直します……っあら?」
取り外そうと彼に伸ばした手を、掴まれた。
引き寄せられた体が太一郎さんに飛び込んで、ギュッと抱きしめられている。
密着する肌の鼓動も熱も伝わってくるのを感じていたら、太一郎さんの声が耳元で聞こえた。
「今日は自分の買い物よりも、俺のことばかり考えて動いていたとバルデルからも聞いた」
「え」
「あいつの言うことだから、からかい半分なのかと思っていたのに……実際に目にすると嬉しくてたまらないな」
そんなこと聞いていたんですか。
のぼせた顔が熱くて言葉が出てこない。
それでもおじいさんが喜んでくれたことは声で分かるから、私からも彼の胸にギュッと抱きついた。
「太一郎さんのためにできることは、何だってしたいんです。
次は何をしたら太一郎さんが喜んでくれるのか、なんてことばかり考えていましたよ。
だから目は痛くないですか? 怪我する前に遠慮なく言ってくださいね、お願いですから」
「大丈夫だ。痛くないし、今から職場で使うのが楽しみになっている。
……ありがとう、あさ。大切にする」
不老しか持っていない私に出来ることは、今もほんのちょっとの魔力を流すことだけだ。
それでも太一郎さんが喜んで、恥ずかしがり屋なのに頬にキスまでしてくれる。
彼のためになるものを作れたことが嬉しくて……大好きな人にギュッと抱きつきながら、触れ合えることを今日も幸せに思っていた。




