明治12年(1879年)7月 神奈川県横浜 ダスティ商会 増田林蔵
ダスティ商会で伊達正様の元、仕事をし始めてから驚かされることばかりだ。先日には友人を訪ねるようにふらっと、三菱の岩崎弥太郎氏が入って来た。
「よう、正殿。東京海上保険という、海上保険会社に出資してはくれぬか?うちにも三井にも必要な会社じゃ、正殿の事業にも当然関わってくるはずじゃ。どうだろう、5万ほど出資しては貰えぬか?」
まるで小遣いでもせびるかのように、とんでもない額を要求してきた。だが正様は驚くことなく、何時も事のように茶で喉を潤すと、すらすらとペンを走らせ小切手帳を切って渡した。
「三菱の名義で上乗せして出資してください。我々の名前が表に出ては、要らぬ詮索を受けかねませぬ。あとは岩崎様の裁量にお任せします」
「よいのか?軌道に乗ればそれなりの配当もあると思うが…」
「ええ、これは必要な会社でしょう。配当は三菱が
お受けになればよい。ただし、出資させて頂いた応分を三菱から配当して頂ければ幸いです」
「そこは任せてくれてよい。だが、あくまでも表には出ぬのだな。三井の益田殿や渋沢栄一殿が訪れた折も同様だったと聞いたが、何故なのだ?」
「それほど大層な理由などありませぬ。私を頼ってくれる者や、私自身もそれほど誇れる経歴があるわけでもないのです。言わば『根無し草』ですかな、そんな者が日の目を浴びれば、要らぬ厄介事に巻き込まれるのが目に見えておりますからな」
「そんなものか?お主なら厄介事を捩じ伏せるだけの器量はありそうだが、お主一人の事だけではない。という事が表に出る事を躊躇わせる理由か」
否定も肯定もせず、事務仕事に没頭することが岩崎様への返答ように思えた。人を預かる、人の上に立つという事は思ったほど楽な事では無いのだろう。
「また何かの折には寄らせて貰おう、その時まで壮健での」
入って来た時と同じように、辞去の挨拶なども無く立ち去って行った。
その後、三井の益田孝様も訪れ同様の打診をされた。時を置いて渋沢栄一様も、同じ用件での訪問だった。正様の名は、表の実業界では知られていない。だが、表舞台で名を売っている大物達がこぞって押し寄せる。そんな方の元で商いを学べることに、改めて感謝の念を抱かずにはいられなかった。




