明治12年(1879年)2月 アメリカニューヨーク ダスティ商会 アイザック・レヴィ
今年度から配当が開始されるはずの、StandardOil社を率いるロックフェラー氏がダスティ商会を訪ねて来た。両社に懸念事項はないし、StandardOil社に至っては石油精製業者の9割を抑えるまでに成長していた。
「久しぶりだな、アイザック。ダスティ商会での業務にはもう慣れたのか?」
何処か何時ものロックフェラー氏とは趣が異なる。
「ええ、ボスの薫陶を守り皆で精進しています」
「そうか、今日伺ったのは配当についてだ。今季から開始されるが、利率を0.5%ほど引き下げては貰えぬだろうか」
明らかに可怪しい、経営には冷徹だが約束を違えることを何より嫌う方のはずなのに。
「それは聞けない相談ですね、こちらに何かしらの不手際があったのならともかく、一方的に利率を下げてくれとはどういう訳でしょう?」
「うむ、ミスター正なら世間のために、多少の譲歩はしてくれるのではないか?それに君は、永らく私の元で働いた恩義でもって、答えを変えることは出来ないのかね」
「確かに私は、貴方に拾って貰った恩はあります。しかし、それと商売を秤にかけるような事を最も嫌ってきたのは、貴方ご自身ではなかったのですか」
「確かに君の言う通りだ、情に流されて商売をすることを嫌ってきたのは私だ。…失礼した、今の話は忘れてくれ」
そう言うと、辞去の挨拶を皆に述べ。ダスティ商会を後にされた。
ロックフェラー氏が事務所を後にしたのを確かめて、オットーが声を掛けてきた。
「どうやら合格のようだね?」
最初、何を言っているのか分かりかねていると、パトリックが畳みかけてきた。
「どう考えても可怪しいでしょ、商売上の約束には厳格なロックフェラー氏が自分から前言を翻すなんて。君の未練を断ち切って、情に溺れるようなら叱りつけるつもりでいらしたのでは?」
そうだ、最初から私に接する態度も何処か芝居じみていた。だから違和感を感じたのではないか?そう思うと、外に飛び出していた。もうロックフェラー氏が去って、10分以上は過ぎているというのに。そうか。あの方は最後まで、私を「元部下」ではなく、一人の商人として試してくださったのだ。何時の間にか降り出した春雨が、自分の不甲斐なさを優しく包むように濡らしていく。まるで、ロックフェラー氏からの餞別のように…。




