明治11年(1878年)8月 アメリカニューヨーク ダスティ商会 増田林蔵
ここニューヨークは、未だ恐慌の底を抜けたとは言い難い状況であった。だが、確実に光明は見え始めていた。
一部の産業では、躍進する企業が現れ始めている。石油製品業界のStandard Oil社を筆頭に、製薬会社のパークデイビス社も、6月には初めて株主に対して配当を出した。
その両社に対して投資しているのが、このダスティ商会だ。
それだけではない。
パトリックはニューヨーク港で埠頭ごとの顔役達を仲介し、荷物の動きから新たな投資情報を拾い上げる。アイザックは金融界との繋がりから得た情報を持ち帰り、それをさらに精査する。そしてオットーを交えた三人で話し合い、投資先を選定して利益を挙げていた。
この三人を繋ぎ合わせた伊達正様とは、フィラデルフィアで挨拶を交わした程度でしかない。
それでも、この三人を見ていれば、正様がどれほどの人物なのかは容易に想像がつく。
自分も彼らと共に、納得のいく仕事をしたい。
その思いは、日に日に強くなっていた。
共にアメリカに渡った伊達忠七殿は、三井の呼び出しで一足先に帰国している。森村豊殿も先日、帰国の途に着くとの挨拶を受けたばかりだ。
先に病で帰国した鈴木東一郎殿を除けば、残るは自分と新井領一郎殿だけとなった。
意を決して、声を掛けてくださった佐藤百太郎殿を訪ねた。
「自分も帰国の意を固めました」
「他の者達とは、違った決意を持っての訪問のようだね。帰国後の身の振り方は、定まっているのだね」
「はい。ダスティ商会の伊達正様の門を叩こうと思っています。ニューヨークに来て、一番に思い知らされたのは、自分の不甲斐なさです」
「ほう。意を固めて海を渡っただけでも十分に立派だと思うが、君はそう思ってはいないのだね」
「私は今の製茶業界に失望していました。海を渡れば、違ったものが見られるのではないか。そんな淡い期待があったのも事実です」
そこで一度、言葉を切った。
「ですが、結果は残酷でした。世界は変わり続けています。変わることを拒んだ時、その事業は衰退してゆくのです」
「確かにニューヨークの中だけでも、日々目まぐるしく変化しているからね。君がそう感じるのも無理はないだろう。だが、それとダスティ商会はどう繋がるのだね。そこが少し疑問なのだが」
「ダスティ商会は変化を恐れない。いや、むしろ変化を好機とすら考えて動いている。そこに強い魅力を感じるのです」
拳を握り、言葉を続ける。
「伝統的な製茶業界にいた反動なのかもしれません。ですが、だからこそ、そこに飛び込んで学びたいのです」
「ならば、私が言うことは何も無いよ。後は自分で伊達正殿より、その極意を吸収することだ」
そう言った百太郎殿は、どこか我が子を送り出すような温かさに満ちていた。
そうだ。
後は、自分自身の問題なのだ。
製茶業から逃げるためではない。
変わり続ける世界の中で、変化を恐れず生き残る術を学ぶために帰るのだ。
改めて、帰国への思いを固めた。




