明治11年(1878年)3月 神奈川県横浜 ダスティ商会 伊達正
忠七が益田孝殿から、万博への打診を受けた同じ時期。その益田殿が一人の人物を伴って、ダスティ商会を訪ねて来た。徳川の遺臣であり、明治の大実業家・渋沢栄一である。どうやら実業界の意見を纏め、政府に建議するための組織(東京商法会議所)を創ろうとのことらしい。直接の面識は無かったが、利左衛門殿から度々話には聞いていた。
「お初に御目にかかります、渋沢栄一と申します」
銀行設立から実業界への投資にと、経済界の大立物のはずだが、鼻にかけるようなところは見受けられない。一角の人物なのだろう。
「こちらこそ、はじめまして。横浜とニューヨークでダスティ商会を営んでおります、伊達正と申します。以後、よしなに願います」
型通りだが、無難な挨拶で相手の様子を探ってみる。だが、悦に入るような大きな変化は見られない、会話で探りを入れるしかあるまい。
「今日は如何なる用向きで参られたのですかな?某の商会など、渋沢様の目に留まるものでは無いと心得ますが…」
「これはこれは、ご謙遜を。三井・三菱を始め、名だたる企業に投資し。まだまだ、回収が見込めない北海道にも楔を打ち込む御人の言葉とも思えませぬな。そんな伊達殿に折行ってお願いしたく、お伺いいたしました。どうか東京商法会議所の設立人に、名を連ねて頂けませぬか」
やはりそうか、だが自分は敢えて表に出ぬことでここまでやって来た。今後もそれは変えるつもりは無い。果たして、どう説得するべきか。
「その昔、私は新政府の方々に睨まれましてな。罪なき者に罪を着せるな!等と暴れていたのです。そのような者を組織に組み込んでは、政府との折衝もままなりますまい」
「…なるほど。伊達殿が表に出られぬ理由、少し分かった気がいたします」
「何も、不満があっての不参加ではありませぬ故、お手伝い出来ることがあれば、陰からさせて頂きたいと思っております」
「分かりました。今後は海外との繋がりも必要不可欠、お手伝い頂ければ幸いです」
「非才の身ではありますが、今後ともよしなにお引き回しください」
そう述べると、渋沢殿は無念さを滲ませながらも別れの挨拶をして帰路につかれた。
これで良い。自分が表に立てばいらぬ諍いを産むだろう。杉沢又四郎や鈴木東一郎などは、決して華やかな表舞台には立てぬ者達。それを預かる自分自身も、脛に傷ある存在なのだ。ならば、表に出られる者が出ればいい。だからこそ、表に戻った忠七には、思う存分にその手腕を振るって欲しい。自分が歩めなかった道を、あの若者には歩いて欲しい…そう願わずにはいられなかった。




