明治10年(1877年)11月 東京府日本橋区駿河町 三井物産 伊達正
利左衛門殿の葬儀以来、初めて益田孝殿から招きを受けた。どうやら利左衛門殿という屋台骨を失って、早急に人材を一元化したいようだ。
「正様、今日足をお運び戴いたのは伊達忠七の件についてです」
そうか、遂に来るべき時が来たのだな。その覚悟はなんとなくはあったのだ。
「ええ、元々忠七は利左衛門殿よりお預りしていた者。三井の実権を握られた益田殿が、お戻しになりたいと仰るのであれば、私に異存はありません」
そう口にしながら、自分が嘘をついていることもわかっていた。何より、自分の手元を離れてしまう寂しさがあった。自分の弟子のように育てて来たが、忠七は三井の社員である。
「そう言って戴けて、こちらとしても感謝の意しかありません。永らくお育て頂き、ありがとうございました」
益田殿はそう言うと、深々と頭を下げられた。こうまでされると、もう異論を挟むことすら出来ない。永きに渡って接してきたが、素直に耳を傾けることが出来る、得難い存在に育てることが出来たと自負していた。間違いなく、三井に戻っても重責を担うに足る人物になったはずだ。
三井物産からの帰り道、忠七の文にあった丸善の鈴木東一郎君の事に思い至った。歩いてものの数分の距離に、丸善本社があるのだ。事のついでとばかりに、丸善を訪ねてみた。すると取次いでくれたのは、創業者である早矢仕有的その人であった。
「鈴木東一郎の所在についてお尋ねとのこと、どのようなご関係ですかな?」
「関係性といっても、間接的な物でしかありませんが。私が預かっていた伊達忠七なる者が、帰国した鈴木東一郎殿を心配しておりましたので」
「伊達忠七殿といえば、共にニューヨークに渡った人物の一人ですな…貴方が伊達正殿ですか?福沢諭吉殿とは適塾の繋がりと聞いております」
「ええ、適塾の緒方洪庵先生と我が師・二宮逸二の父である二宮敬作が、シーボルト先生の兄弟弟子でありました故」
「なるほど、そのような繋がりが…。おっと、鈴木東一郎のことでしたな。体調を崩し、実家のある駿河の小山村で静養しております。もしお時間が許すようでしたら、訪ねてやってください。あの者も喜ぶでしょう」
そう言うと、にこやかに所在地を記した書付けを渡してくれた。ここまで来ると、見舞わねばなるまい。早矢仕殿に丁重に礼を述べて、丸善本社を後にした。この時はまさか、あのような事になろうとは露ほども思い至らなかった。




