明治10年(1877年)10月 アメリカニューヨークフロント街97番地 日の出商会 伊達忠七
アメリカに渡った森村豊殿、新井領一郎殿と自分が中心になって日本の物品を扱う『日の出商会』が産声をあげた。豊殿は兄の市左衛門殿の商いを助けるべく、一番熱心に動いていた。それ故、資金面での助けになればと共同出資を申し出た。佐藤百太郎殿との提携で、形としては整ったものとなった。
共にアメリカに渡った鈴木東一郎殿が、病身のために帰国を余儀なくされた。あれ程責任感が強く、己に厳しい御人だったので心配していた。一方で増田林蔵殿は、製茶業界への危機感をより一層強めていた。物珍しさを売りに、海外一辺倒の業界が国内の需要を無視して突き進んだ結果。日本の製茶そのものが衰退しかねない――林蔵殿は、その未来を本気で恐れていた。その危機意識の余り、今は貿易そのものへと逃避しているようにすら感じられた。
ダスティ商会のニューヨーク支店の面々は、その殆どが自分よりも年上だ。一番年齢の近いパトリックでも、自分より4〜5歳は上だろう。何より皆、自分より格段に仕事が出来る。彼らを見ていると、自分は今まで一体何を正様から学んできたのか?と情けなく思ってしまっていた。だがパトリックと共にニューヨーク港を回っていた時に、日本での正様の話題になり考えを一変させられた。
「ボスは日本でも変わらないのだな、常に先を見ておられる…いや人を見ておられる」
思わずはっとさせられた、自分はなんと狭い価値観に陥っていたのかと。正様は常に人を見て、人と交わって道を切り拓いてこられた。それを気付かされてからは、どこか遠慮気味だったパトリック達と積極的に交わった。アメリカでの正様の事、今のアメリカの経済の事。自分も日本での正様の事を語り、正様が何処へ進もうとしているのか。4人で明け方近くまで語り合った。そうして語り合っている我々を、傍らで増田林蔵殿が羨まし気に眺めていた。
「私も貴方方のように、共に語り合える仲間が欲しかった。私の周りには、現場に阿って自分の立場を向上させるような卑劣な人間しかいなかった」
そう言って悔し涙に濡れていた。そこには、ちょっと前の自分がいるような気がした。
「増田殿、それに気付けたのならそこから始めればいい。一度、立場を変えるのです。そこから改めて自分を見つめ直したら、きっと違った物が見えてくるはずです」
人を励ます言葉は、不思議と自分自身の心も支えてくれる。その夜初めて、自分も少しだけ正様の背中に近づけたような気がした。




