明治10年(1877年)8月 東京府下谷区上野 内国勧業博覧会会場 伊達正
西郷挙兵の間もなく、2月21日に三野村利左衛門殿が永眠した。皮肉にも益田孝殿とは、その葬儀の場が初対面となってしまった。
「利左衛門殿より、目をかけてやって欲しいとの言葉をいただいいている。何か困ったことがあったら、何時でも相談に乗りましょう」
それを受けた益田殿も、丁重に返してくれた。
「こちらも、三野村様からお話をお伺いしています。何かの折には、ご指導を賜りたくお願い申し上げます」
やはり…というか必然的に過ごした時間に比例して、情は形成されてしまう。益田孝という人物よりも、岩崎弥太郎に情を感じてしまうのは、この場であろうともいた仕方ないことだった。
佐藤百太郎殿が持ち帰り、さらに自分も帰国の際に持ち帰った農機具及び種苗は、漏れなく有珠の伊達邦成公の元へと売られた。こちらの儲けはほぼ乗せず、元金と輸送費を乗せた価格で販売されていた。自分は商人というよりも、投資家なのだ一時の儲けを貪るような真似はしない。そこが岩崎殿や益田殿との違いなのだろう。この投資が後の世に与える影響こそ、自分が得たい利益なのだ。
その繋がりから、上野で開かれている内国勧業博覧会に邦成様と田村顕允殿をお招きした。せっかくなので、不夜城と称される提灯に彩られた夜の会場へとお誘いした。人力車で到着して間もなく、上野の夜空に赤や緑の大輪の火花が咲いた。お二方共、良い土産話になると喜んでおられた。
「何から何まで、世話になりかたじけない、正殿。斯様に大規模な博覧会を開けるようになるとは、幕末の折には思ってもみませんでしたな邦成様」
田村殿が屋台で饗されていた、甘酒を片手に邦成様に語りかけた。花火に照らされた煉瓦造りの美術館を見ながら、同じく片手の甘酒を口に運んだ邦成様が一呼吸置いて答えられる。
「まことに、東京の賑わいにも驚いたがこの会場の機械館にもおどろかされたわ。プラウや草刈機は我らも正殿から購入し使っているが、水車やポンプなど新しき物が満載じゃ」
会場は多くの人で賑わい、人気の機械館には引きも切らない人で溢れ返っていた。機械館では、臥雲辰致のガラ紡など最新の発明品なども展示されていた。博覧会を堪能されたお二方に、語りかけた。
「明日、北海道にお戻りになる前にお渡ししたい品がございます。ご足労とは存じますが、是非我が商会の倉庫まで足をお運びください」
そう言って、今夜の宿の前で別れた。
翌日、横浜港の傍らにあるダスティ商会の倉庫でアメリカから持ち帰った品を披露した。
「これなるは持ち運びに便利な、キャンプ用の薪ストーブです。北海道でも官舎や公館などでは、大型の薪ストーブはあるでしょうが自宅用の小型の物はまだ普及していないと思いまして」
鋳物製のストーブはキャンプ用の小型の物でも、有に20〜30キロはある。
「これから秋を経て、厳しい冬を迎える折。お年を召した保子様には、辛かろうと思いまして。大型の薪ストーブでは家庭には馴染まぬと思い、小型の薪ストーブにいたしました」
邦成様は感激し、自分の右手を両手で握り深く頭を下げられている。
「まことにもってかたじけない。義母には一際苦労をかけている、それに報いるに何が必要か思い悩んでおりました。ただでさえ博覧会にご招待頂いたにも関わらず、斯様な品まで用意していただき感謝に堪えません」
「もしお手間でなければ、これを元に各家庭で扱える薪ストーブを地元の鍛冶師や鋳物屋などと共に探ってみてください」
そう言うと、お二方は共に見合い頷くと堅い決意を胸に宿しているようだった。一台の薪ストーブが冬を越える命を一つでも増やすのなら、それは何より大きな利益であった。




