明治8年(1875年)11月 神奈川県横浜 ダスティ商会 伊達忠七
その後佐藤百太郎殿が福沢諭吉様との面会を経て、森村豊殿と鈴木東一郎殿を推薦された。鈴木殿は丸善の関係者らしく、慶応義塾の卒業生とのことだ。さらに、ニューヨークで茶の販売も担っていた百太郎殿の伝手で、狭山の増田林蔵殿も加わり自分も含めて5名の実習生が海を渡ることとなった。
以前に会った森村豊殿・新井領一郎殿以外の二人も気になっていた。どのような人物なのか、会って確かめようとまずは鈴木東一郎殿に連絡を取った。
「はじめまして、私今回共にアメリカに渡ることになっている伊達忠七と申します」
警戒心を抱かせぬよう、最初に交わす挨拶には一番気を遣う。こういう時は、自然と相手との距離を縮められる正様の所作を真似てみる。
「こちらこそ、はじめまして丸善の鈴木東一郎と申します。以後、よろしくお願いします」
うん、上手くいったようだ。警戒感は感じられない、むしろ歓迎してくれている感すらある。
「鈴木殿は慶応義塾の卒業生と聞き及んでおりますが、此度は福沢先生の推薦でのご参加なので?」
そう聞くと、鈴木殿は緩やかに首を振り。
「いえ、卒業生なのは事実ですが福沢先生にご推薦戴いてはおりません。此度は自ら志願して、佐藤百太郎様の応募に参じました」
その声音には、並々ならぬ決意が感じられた。
「我が丸善の創業者の早矢仕は、福沢先生とは昵懇の間柄。幾ら卒業生と言えど、その伝手を頼っては甘えとの誹りは免れませぬ」
さすがにそこまで気に掛ける者はあるまい、とは思うものの言わんとすることは理解出来る。
「私はアメリカで、最先端の商業技術を身に着け。丸善に貢献出来るよう、成長したいと思って此度の渡米を思いたったのです」
やや気負い過ぎな感はあるものの、実直で責任感に富んだ人物に思えた。
逆に、今一人の人物。増田林蔵殿には、違った驚きを与えられた。
「某、今の製茶業界には未来を期待できません。旧態依然たる持ち回りでは、この競争社会では生き残ってはいけません」
自分より幾分か若いはずだが、相当に今の業界に危機感を持っているようだ。
「今は珍しさで茶も売れています。しかし、それだけでは長くは続きません」
尚も続けて、危機感を口にする。
「品質、価格、販路。そのどれか一つでも負ければ、日本茶はたちまち見向きもされなくなるでしょう」
確かに今のような、大名商売では先行きは明るいものとはなり得ないだろう。
「正様も常々、人は一人では商いは出来ぬと申しております。何か力になれることがあれば、遠慮なく仰ってください」
そう言って、増田殿を宥めた。実に個性豊かな面々だ。どのような旅になるのか、今から楽しみでもあった。




