明治8年(1875年)9月 東京府神田一ツ橋 東京開成学校 伊達忠七
帰国した佐藤百太郎殿と再会を果し…と言っても前回は顔繋ぎの挨拶程度で、会話すらろくにしていないのだ。その百太郎殿より、買い入れを頼まれたというアルビソの農作物の種子を渡された。どうやらこれが正様の手紙にあった、北海道有珠郡へと送るアメリカ産の種子のようだ。小麦・大麦・燕麦にコーンという黄色い実をびっしりと付ける穀物らしきものだ。
百太郎殿のこちらでの滞在地などはあらかじめ用意してあったが、今後の予定までは聞いていなかった。事前に会った、森村市左衛門殿と弟の豊殿について報告をした。百太郎殿は喜び、今後は手分けして紹介されていた人物に連絡を取る提案をしてきた。百太郎殿は慶応義塾で福沢諭吉様に、自分は群馬県の前橋で星野長太郎殿に面会を求めることになった。
前橋に飛んだ自分が驚かされたのは、星野殿がもう前橋にはいないことではなく。水沼という地に、ご自身で製糸場を造っていたことだ。僅か3年の間にこれ程までに立派な、機械製糸場を建設していようとは思っても見なかった。水沼製糸場で星野長太郎殿に会い、佐藤百太郎殿が仲間を募っていることを伝えた。星野殿は自慢の弟御が、今は東京開成学校で学んでいる。と教えてくれたので、東京へと戻り弟の新井領一郎殿との面会を取り付けた。
「はじめまして、私。横浜でダスティ商会を任されております、伊達忠七と申します。お兄様より、手紙を預かって来ました」
そう挨拶をすると、領一郎殿に手紙を渡した。暫し手紙に目を落とし、読み終えると。
「私が高崎にいた折に、兄様に会っておられたのですね。で、今は代表の伊達正様はどちらにおいでなのですか?」
正様のことも書かかれていたのか、そう思いながらも問いに答える。
「正様は今、ニューヨークにおられます。佐藤百太郎殿がニューヨークを離れられるので、あちらの仕事を見られておられます」
その顔には羨望にも似た、憧れが見て取れた。
「今、佐藤百太郎様がニューヨークで共に商いを学ぶ仲間を募っておられます。もし、興味がお有りなら百太郎様を紹介いたしましょう」
そう言うと、領一郎殿は目を輝かせて詰め寄って。
「是非お願いします。英学校で学んだのも、今こうして開成学校で学んでいるのも、いつか海を渡り、生糸を世界へ売る術を身につけるためです。その機会が得られるなら、これほど嬉しいことはありません」
やや圧され気味になりながらも、約束を交わした。これで自分に託された役目は果たせただろう。後は百太郎殿が彼らを導いてくださるはずだ。そう思うと、ようやく肩の荷が下りた気がした。




