明治7年(1874年)3月 神奈川宿横浜 横浜港 伊達正
横浜の商会応接室で、岩崎弥太郎殿と今後の内戦への対策。その資金についての対応、などについての話合いが持たれた。アメリカに渡ってしまえば、1年以上は日本を離れることになる。その辺りの対応も、又四郎に任せる旨の手紙を弥太郎殿に託して別れることになった。微かな不安を残しつつ。
3月の晴れ渡った水面に、もくもくと煙を吐き出しながら蒸気船は滑り出した。甲板の手すりにしっかりと掴まっている正宗を、愛おしげに見つめながら前回の出航を思い出していた。あの頃はまだ、乳母に抱きかかえられながら見送ってくれた正宗が、今はこうして傍らにいる。成長を頼もしく思いながらも、ある不安も抱いていた。もっとこの子と向き合う時間を取るべきではなかったか、或いは同年代の子供達と触れ合わせてやるべきではないのか。相反する思いが交錯する。商売においては即決即断を旨とする自分が、こと正宗の事や弟子の事になると決断に躊躇することはざらにあった。
そう思うと、自分はこの子に何を望んでいるのだろうか。同じように商売人を志して欲しいのか、はたまた違う道を進んで欲しいのか。同じ道を歩むなら、惜しみなく助言を与えることも出来る。だが違う道を歩むのなら、然るべき師を付けてやらねばなるまい。しかしながら今は、この母譲りの好奇心溢れる笑顔を護る。その事にだけ、気を配ろう。そう思い直して海を見た、雄大な海を。そこには無限の可能性に満ちた世界が広がっていた。正宗も、忠七も、又四郎も。それぞれに、自分には持ち得なかった未来を秘めている。そう思うと、自然と胸いっぱいに海風を吸い込んでいた。海風はいつもと変わらず塩の香りを運んでくる。それでも今日は、その味が少しだけ胸に沁みた。




