明治4年(1871年)7月 神奈川県横浜 ダスティ商会 伊達正
ここに被害を回復し得ない人物が一人、元福島藩士の杉沢又四郎である。彼にはもはや帰る家が無い。今までは三野村利左衛門殿が預かっていたが、そろそろ身の振り方を促してやらねばならない。
「どうするかね、このまま三野村利左衛門殿の居候という訳にもいくまい。何か宛てはあるのか?」
又四郎に聞いてみた。
「宛ては…ありません。もしよろしければ、貴方の元で使っては頂けないでしょうか」
そう願うのであれば、断る理由は無かった。
「武士に未練は無いのだな?私の元で働くということは、商人として身を立てるということになるのだが…それで良いのだな?」
改めて、又四郎の意思を確認した。
「はい、廃藩置県も発布され。もはや武士は消えゆく存在になると思いまする。なれば手に職をつけ、一人前となるべく商人を目指したいと思います」
そこまで覚悟が出来ているのなら、手元に置いて育てよう。彼もまた、被害者なのだ。自分が産み出した訳ではないが、同情も禁じ得ない。
それからというもの、忠七と又四郎を連れて各国の商会を訪ね、情報収集を諮る日々となった。そんな中、ニューヨークの佐藤百太郎殿から連絡の手紙が届いた。どうやら此度の岩倉使節団の通訳を務めるよう、要請を受けたようだ。さらに読み進めると、ロックフェラー氏が社名を『Standard OIL』と改め、続々と競合他社を取り込んでいるとのこと。やはり彼の経営の才は、非凡なものであったのだろう。次のパークデイビス社は、懸念していた通り。ダフィールド氏が健康上の理由で、職を退くことになった事を伝えてきた。あれだけの激務だったのだ、こうなることは時間の問題だったのだ。それでも、後任の医師をダフィールド氏が紹介し、経営上の問題にまでは及んでいない旨が書かれていた。アメリカでの日々から、もう1年以上が経過しているのだ。勝との対峙、道子様との再会の間にもあちらでは目まぐるしく変動している。今少し正宗が成長したなら、あの広大な地を共に歩いてみたい。夏の海風に、少しだけサンフランシスコの潮の香りがしたような気がした。




