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明治4年(1871年)2月 東京本所 勝海舟邸 伊達正

さすがに兵部大丞ともなると、そう簡単に時間を作ることも叶わぬらしい。それとも、招き入れて消すための算段に時間を要しているのか。いずれにしても、招きに応じたからには後戻りは出来ない。腹を据えて、勝邸の門を潜った。


以前と同じように奥の間へと通された。以前と違うのは、入る前から自分への複数の殺気が向けられていることだろう。いざともなれば、無礼の段あり。よって、手討ちに致した。とでも報告し、有耶無耶にしようとの心づもりなのだろう。故にここからは、頭と心を全開に使い生きて帰らねば。

「お招きに応じ、参じました。横浜の商人・伊達正にございます」

どこか気もそぞろな風に、頷いている。

「せっかく8年ぶりに訪れたのです、本題の前に少し話をしませんか」

敢えてくだけた風に、問うてみた。

「よかろう」

余裕を見せるためか、こちらの振りに応じた。

「最近エゲレスで人気の戯曲…まあ芝居ですな。その芝居の中にある言葉に『ペンは剣よりも強し』というのがあるのです。要は言葉は暴力に勝る、ということですな」

興味は無いだろうが、とりあえずは頷いている。

「これが面白いのは、この言葉には色々な解釈が存在しているということなのです。例えば、今は暴力に屈しても後世の人によって悪事を弾劾出来る。というような解釈をする者もいるとか」

こちらをぎろりと睨みつけ。

「それは本題では無いのだな」

鋭い口調で、こちらに釘を刺してくる。

「何か私を勘違いされておられるようですが、懲らしめようだとか弾劾しようなどとは微塵も思ってはおりません」

明らかに、疑いの眼差しでこちらを射てくる。

「例え私が懲らしめたところで、死者が甦る訳ではありません。私が求めているものは、貴方のして来た事を認識させることです」

理解が追いつかないのか、訝しむように顔を歪めている。

「貴方は人を道具のように扱い、邪魔な者気に入らない者用が済んだ者を排除して来た。その事に向き合って貰おうと、今日はここに来たのです」

勝はしばらく黙った。脇息を握る手には力が入っていたが、その表情からは何も読み取れない。やがて小さく息を吐き。

「伊達殿は面白いことを申される」

とだけ言った。

「排除を命じられた者も、道具ではありません。意思ある人なのです。人であるから動けば知られるし、危険があれば回避しようとするのです」

何を言わんとしているのか、察知しきれていないようだ。

「現に坂本さんを見廻り組に売ったことも、知られてしまっている。福島藩を使って、世良修蔵を亡き者にしようとした事も若き藩士に知られてしまっているのですよ」

推測の域を出ない内容も、この際は織り交ぜて訴えた。

「一番猜疑心の強い貴方が、例え道具と思っていようとも他人を信じて使ったが一番の驚きです。絶対に秘密を漏らさない御庭番衆と言えど、人なのです。己の安全が一番に来る、とは思わなかったのですか」

虚勢なのか、それとも何も感じていないのか…読み取れない。

「貴方の威信が通じるのも、貴方が生きてある限りです。貴方が死した後、誰が貴方の名誉を守ってくれるのでしょうな」

感情が抜け落ちてしまっているのか、能面のような顔を向けている。

「私が知って欲しかったのは、死した後に何を残せるのかです。坂本さん、上野介様は私を残しました。貴方には誰が残るのですか」

勝は答えなかった。いや、答えられなかったのかもしれない。部屋を出る時、背後を振り返ることはしなかった。


その後の勝がどのような晩年を送ったか、私には知る由もない。ただ、人づてに聞くところによれば、自らの功績を語ることが多くなったという。それがあの日の問いへの答えであったのかどうかは、今も分からない。

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