明治3年(1870年)12月 神奈川県横浜 ウォルシュホール商会 伊達正
萩からの帰り、神戸港のウォルシュホール商会を
訪ねると。ジョン・グリア・ウォルシュ氏が、横浜へと帰る仕度に追われていた。
「横浜へと戻られるのですか?」
忙しく立ち回っていた、ジョンに問い掛けた。
「ええ、年末に兵部大丞と会う約束がありまして、急ぎ戻らねばなりません」
なんと、これは導きやもしれない。
「商会での打ち合わせですか?」
気持ちを落ち着け、冷静に聞いた。
「はい、新造の蒸気船を発注したいとのことで、価格や性能などを聞きたいとの仰せでした」
横浜のウォルシュホール商会へと通っていれば、勝と会う機会があるということだ。共に帰る事を打診し、了承してもらった。
今、兵部大丞・勝麟太郎はジョン・グリア・ウォルシュ氏と応接室で面会している。何と言って話掛けるべきか、どのようにして時間を取らせるか。そんなことを、ぐるぐると頭で巡らせていると会談が終わったようだ。
「お久しぶりです、勝殿。7年いや、8年振りですかな。当時はまだ蘭学医として、襲撃を止める側でしたが…覚えてらっしゃいますか?」
先程までの迷いが、嘘のようにすらすらと言葉を紡いでゆく。
「ああ、あの時の竜馬が襲って来た折の…確か緒方洪庵先生のご紹介で参られた方でしたな。名は…」
それほどまでに、取るに足らない人物と思っているのだろう。だが、今日からは忘れられない人物として、記憶に留めて貰おう。
「伊達正と申します。今、横浜・ニューヨークでダスティ商会という会社を運営しております」
自分にとって使えるか否かを、品定めするかのように見ている。
「左様でしたな、伊達殿。何分一度会うただけ故、お名を失念しておりました」
笑って話してはいるが、周りには隠し切れない黒い悪意が漂っている。
「先日、萩へと参りまして。先の戊辰の役で、北越軍の参謀を務められておられた前原一誠様にお会いしました。戊辰の役で暗殺されたお方の事を、仕切りに口にされておられました」
無論、そんな話などは無いのだが…。
「で、前原は誰の名を口にしておったのですかな」
それまで笑みを絶やさなかった勝の顔から、笑みが消えていた。
「奥羽鎮撫総督下参謀の世良修蔵様より、書状を預けられたそうで見覚えは無いかとお尋ねでした」
明らかにこれまでとは違う、空気を纏わせていた。
「おや、お顔の色が優れませぬが何か気分を害されましたか」
敢えて含みを持たせた言い方で、ニヤりと意味ありげに笑いかけて見せた。
「ご、後日お時間をいただけないだろうか。おり入って、お話したい儀がある故」
世良修蔵、やはりその死に関わりがあるのだろう。
「ええ、お忙しい兵部大丞様にこちらが合わせましょう。御時間が決まりましたら、お知らせください」
丁寧に礼を返すと、とても兵部大丞の職にあるものとも思えぬ体で立ち去った。もしかすると、命を張らねばならぬ局面になるやもしれぬ。久々に、師である二宮逸二の顔を思い返した。分銅やレイピアは何処に仕舞っただろう、手入れをしておくに越したことはあるまい。復讐がしたい訳では無い、正宗にとって唯一の肉親なればこそ命を粗末にすることは出来ぬ。あの時とは違う面持ちで、あの場所へ赴くことになるだろう。ふと見上げると、ちらちらと雪が降りてきた。あの時と同じ季節をもう一度、いや何度も迎えるためには疎かにすることは出来なかった。




