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明治3年(1870年)10月 長門国萩 土原 前原一誠邸 伊達正

神戸を出て、船で2日とかからず萩に着いた。瀬戸内海の城下町であり、商業港でもあるはずの萩なのだが…やや寂れた感じが漂っていた。維新直前ならば活気もそれはひとしおだったろうが、明治に入り取り残された感が否めない。浜崎に旅籠を取り、地元の商家である菊屋を訪ねた。商人として、前原一誠に取次ぎを願ったのだ。翌日の昼過ぎならば、というので萩の街を巡って見た。やはり一時期の隆盛は陰を潜め、どこか重い空気感が漂っている。


菊屋の紹介状を携え、邸を訪ねるとすんなりと奥へと通された。「横浜で商会を構えます、伊達正と申します」と丁重に挨拶をすると。「伊達正?聞き覚えがあるな。…俊輔が以前、横浜で会ったという仏蘭西語講師か?」少し驚きながらも、肯定した。「ええ、以前に横浜の仏蘭西語伝習所の前でお会いして、お話をしたことがございます」中々の記憶力だ、会話の中に出てきた些細な登場人物に過ぎぬだろうに。「それと、館林で堂々と名乗って罪人の遺体を引き取った人物の名も同じだったと記憶しているが…」一気に緊張で、身が強張るのが分かった。「ええ、それも私に相違ございませぬ」流石は維新の波を乗り越えて来た志士だ、完全に主導権を握られてしまった。「それで、その人物が何用があって参られたのだ?まさか意趣返しに来た、と言うならお門違いだと思うのだが」背中に冷たいものが走る。「その罪人こと小栗上野介様と、貴方様の友である世良修蔵様を殺させた男を探るために参りました」その言葉に、顔に力が入ったことが見て取れた。「殺させた、と申したな。裏に主導した人物がいると?」我々が掴んだ情報を、余す所無く語り聞かせた。「なるほどな、でその友というのがわしではないかと言う訳か」肯定の意を、頷くことで示した。「確かに、世良修蔵より不思議な書を託された。幕府勘定方の書類らしいのだが、どうも腑に落ちぬと申しておったな」やはりそうか、世良はその書で踊らされた。「実際の書を拝見していないので何とも言えませんが、その書は幕府御庭番衆の手による偽書。その当時、御庭番衆を操っていたものが主犯ではないかと」とうとう辿り着いた、そう思った。「だが、この書を見せることは出来ぬ。これを見せれば、世良がまんまと踊らされたことを証明することになってしまう。友として、それは忍びない」確かにそうだ、自分も同じ立場ならばそうしたであろう。「確かに、私も貴方と同じ立場ならばそうしたでしょう。ただ、その書があった事が分かっただけで十分です」その言葉に、前原殿が詫びている様が顔色で窺えた。「仇を討とうとか、真実を白日の元に…などとは考えてはおりませなんだ。ただ本人に突き付け、己の所業を思い知らせたかったのだと思います」前原殿と相対して、初めて自分の思いに気付かされた。


その思いは、今一度あの悪意に満ちた男に相対そうという決意へと変わった。それで、何かが変わるかもしれないのだから。その思いは萩の寂れた秋空に、希望の輪を描く鳶のように舞い上がった。

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