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明治3年(1870年)5月 神奈川県横浜太田町 伊達忠七宅 伊達正

それは伊庭新八郎が死の間際に、三野村利左衛門殿への書状を杉沢又四郎という人物に託したことに始まる。いや、厳密にいうとその前には新八郎はこの又四郎から、ある程度の事情を聞いたから書状を託したのである。杉沢又四郎は福島藩の番頭であった杉沢覚右衛門の養嗣子で齢15、奥羽越の列藩同盟と新政府軍との決裂を決定づけた、世良修蔵の暗殺に関わっていた。又四郎曰く、世良修蔵が殺される前に引き立てられる時、自分は嵌められて小栗様に死を言い渡したのだと。どうやら世良修蔵は、それが元で襲われたと勘違いをしていたようだ。


だが実際は、世良修蔵が大山格之助に宛てた密書が引鉄となり暗殺が決行された。しかし可怪しいというのだ、書状を預かったことは事実だがそれとは別の書状が仙台藩に送られたという。暗殺に加わった、福島藩の遠藤条之助も鈴木六太郎も養父もさらに上からの命令で加わったというのだ。世良修蔵の言う『嵌められた』というのも、まんざらでたらめでは無いように思われるというのだ。ここからさらに、この三人が忽然と姿を消したというのだ。又四郎は、実家である細田家に戻っていて、帰って来ると中間おろか家人が一切消えていたという。それを目のあたりにして己の身も危険だと悟り、仙台藩へと逃れたとのことだ。


ここまで聞いて、自分の中ではある人物がくっきりと浮かび上がっていた。勝麟太郎、己の手を汚さずに邪魔者を排除していく。はっきりとした証拠がある訳では無いが、如何にも奴が好みそうなやり口である。そう考えていると、忠七は追加で情報を教えてくれた。世良修蔵は死の間際、証拠となる書を、友に預けたと言っていたという。その書は何処に、友とは誰か…。


気になっていたことを、忠七に尋ねた。これらの情報を栗本瀬兵衛様、三野村利左衛門殿が共有しているのかと。忠七はゆっくりと頷いて、肯定した。ただ、自分の帰りを待って話し合いたいとのことだった。自分が帰り着くまでにも、独自に情報を集めていることだろう。まさか帰って直ぐに、このようなことになっていようとは。今はただ、新八郎の冥福を祈り感謝する想いで手を合わせた。アメリカから戻ったばかりだというのに、どうやら休ませては貰えそうになかった。



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