明治2年(1869年)10月 アメリカクリーブランド ロックフェラーアンドリュースフラグラー社 伊達正
秘書に連絡を入れた翌日には、面会の段取りが整えられていた。ここでも、決断の早さに驚かされた。普通の経営者ならば、面識の無い商会からのアポイントに尻込みして決断を遅らせる。だが例え面識が無くとも、有益な話を聞けるかもしれない。と、即座に決断を下す。並の経営者では、出来ない芸当である。
応接室に通され、軽い挨拶と握手をかわす。ここでも驚かされたのは、東洋人である自分に驚きなど一切感じていない点だった。非常に賢く、感情を面に出さないのには好感が持てた。「先日、ウェデルハウスで商談をされていたのではありませんか?」こちらの様子を、探るように見ていた。「ええ、鉄道関係者と運賃の交渉でウェデルハウスを訪れましたが」こちらの意図が探りきれない、というように顔色が曇った。「あの時、隣でティーを楽しんでいたのですが、貴方が席を立った後にこちらが残されていたので」と、忘れて行った一組の手袋を差し出した。「おお、これは紛れも無く私の手袋だ。母が私が会社を興した記念にと、贈ってくれたものです」破顔して、謝意を表している。「すぐに気づいて後を追ったのですが、見失ってしまって…食堂の給仕に聞いたところ貴方だというので、こうして伺わせていただきました」破顔していたのは、あの一瞬だけだった。「ただ忘れ物を届けに来てくださったわけでは無いのでしょう?」すでに、冷徹な経営者の顔に変わっていた。「流石は噂に違わぬ、凄腕の経営者だ。確かにここへ来る前に、貴方の会社をボードオブトレードや銀行で確認させて頂きました。実に誠実で堅実な経営をされてらっしゃる。…ですが今一つ抜きん出ることが出来ていないのも、事実ではありませんか?」僅かに顔が歪むのが、見て取れた。「ここで纏った資金があれば、経営難に陥った同業他社を傘下に加え、より手広く事業を拡大出来るのではありませんか?」考え込む風を見せながら。「その資金を投資してくださる、ということですかな?」訝しげな表情で、問い返してきた。「勿論、直ぐに答えの出る類の話で無いことは、重々承知しております。こちらに伺う前に切らせた小切手、20万ドルは投資出来ることはお約束致します」と言って、テーブルに小切手を置いた。「で、どのような条件で投資をしてくださるのですかな?」初めて、その声音に警戒の色が混じった。見ず知らずの東洋人が20万ドルもの資金を持参したのである。何らかの裏があると考える方が自然だった。「何、それほど過剰な要求をしようとは思っておりません。私共の社名を入れろ、などという要求もありません。さらに配当も、10年後からで構いません。利益から5%の配当を頂ければ、今直ぐ投資いたしましょう」ロックフェラー氏は小切手から目を離さなかった。その沈黙が何よりも雄弁な答えに思えた。「私は日本人なのですが、私の国にはこのような言葉があります『三方良し』三方とは売り手・買い手・世間を意味し、良い商売とはその三方が納得する商売を指すのです」こちら意図を理解しようと、真剣な眼差しで聞き入っている。「今回の投資で言えば、売り手が私、買い手が貴方。世間とは貴方の商売で恩恵を受ける一般消費者と思って戴いて結構です。私が不当に高い配当を求めれば、貴方は商品に上乗せして利益を求めなければならない。これでは三方良しとは言えない」深く考え込みながらも、納得するように頷いている。「利益よりも先に、商売の在り方を語る投資家は初めて見ました」ロックフェラー氏はそう言うと席を立ち、右手を差し出した。「こう見えても、人を見る目には自信がありますので」と言って、立ち上がりがっちりと握手した。この握手が、ダスティ商会にとっても大きな転機となることを。その時の自分はまだ知らなかった。




