明治2年(1869年)5月 蝦夷地箱館 五稜郭 伊庭新八郎
昨年12月に江差を制したのを最後に、旧幕軍は後手を踏み続けた。3月に宮古湾で新政府軍の新鋭艦奪取に失敗し、4月にはとうとう乙部への上陸を許してしまった。その4月、木古内方面で戦闘に加わっていた伊庭八郎殿が胸に銃弾を受けて運び込まれた。「八郎殿、よく闘われた。後は任せよ」胸を銃弾に穿たれながらも、なお生きている。不死身の伊庭八郎。ならばその名、しばし借り受けよう。
それでも旧幕軍には、新政府軍を押し返す兵士も軍装も無かった。5月には、箱館市街へと新政府軍は突入の構えを見せていた。10日の夜、久しぶりに土方殿とまみえることが出来た。「我らは明日、一本木関門で新政府軍を押し返すために出陣する」覚悟を決められた顔だ。「ならば我らも支援のため、出陣いたそう」軽く盃を合わせると、お互いに言葉はいらなかった。
市街へと突入を試みる新政府軍を、一本木関門にて迎え討つ。歓声と銃声が鳴り響く中、馬上の土方殿がぐらりと崩れ落ちた。「しっかりしなされ、大事ないか」抱きかかえた手が、夥しい血で染まってゆく。「最期まで、侍として戦い抜いたぞ…近藤さん今ゆくからな」そう言いきると、土方殿の身体ふと軽くなった。数名の兵士に、土方殿の遺体を託し前方へと駆け出した。遅れてはならぬ、侍として相応しき死に場所ぞ。「不死身の伊庭八郎、見参」大音声で叫びをあげると、敵の胸壁へと突入した。
肩や右腕、左脚にも痛みはあるが腹の出血はもうどうにもならぬ。「そなたは生きよ、生きてこれを三井の三野村利左衛門殿に渡してくれ」言われた男は文を受け取ると、自分の手を強く握りしめた。ああ、これで思い残すことはない。殿、新八郎に若を託してくださり有難うございました。若、最期に侍として散ることをお許し頂き、有難うございます。そこで視界は闇へと沈んだ。




