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明治元年(1868年)12月 蝦夷地箱館 五稜郭 伊庭新八郎

若と別れた足で、会津へと向かった。新政府軍はその成り立ちの上で、会津をそのままにして置くことなど出来ようはずは無い。若は餞別にと、五十両もの大金を渡してくれた。江戸で装備を整えては、新政府軍の奴輩に訝しまれると思い。横浜にて装いを

整えると、川船にて下野まで下り会津に至った。


途中、会津を目指す新撰組や幕府伝習隊とも合流したが、皆一様に片手落ちたる自分を歓迎してくれた。皆、思いは一つだったのだ。実戦は久方ぶりだったが、思った以上に身体は動いた。新政府軍の側面や後方に出て、攪乱する度に緊張が自信に変わって行くのが分かった。…だが、新政府軍5000に対してこちらは800。母成峠の地形や、地の利を活かした戦にも限界がある。最後は数に押し切られるように、撤退を余儀なくされた。


援軍を呼び掛けるため、北方へと転進してみたものの。呼び掛けに応じる藩は無く、絶望に支配されかけていた軍に朗報が届いた。榎本武揚殿率いる幕府海軍が、軍艦数隻を率いて蝦夷地を目指しているという。軍に久しぶりの、明るい灯火が齎されたように皆感じていた。その榎本艦隊と仙台にて合流した。蝦夷地の松前・箱館を手中に収め、新政府軍を迎え討つという。


この軍に参戦して、一番に心を許せたのは新撰組を率いる土方歳三だったかもしれない。隊を率いる彼は孤高であり、近寄り難い存在であったが。その心の奥底にある思いが、同じだったからかもしれない。侍として、心おきなく闘って死にたい。彼の言葉の節々から、その思いが滲み出ていた。その土方殿が率いる、松前攻略隊に自分も参戦していた。旧装備で士気も奮わない松前軍相手ではあったが、この勝利が齎したものは大きかった。この後、江差も押さえたことで、本土からも続々と合流する味方が増えていった。


中でも一番に気にかかったのが、伊庭八郎殿だ。名前も一字違いで、同じく左腕を喪っていた。歳は親子程違うのだが、背格好も似ていて元々童顔の自分は八郎殿によく間違われた。その事が、後に思わぬ話を生むことになる。

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