慶応4年(1868年)8月 神奈川県横浜 太田町日本人長屋 伊達正
楓殿を妻に迎え、簡素な小川正(※混乱するので今後も伊達正として記載します)になってひと月が経とうしていた。夏の盛りだというのに、ここは海風の影響なのか、それほど暑さを感じない。昼の用意のため、炭火を起こそうとしていた折。不意に、客人の来訪を告げられた。
「ご無沙汰をしていた間に、このように綺麗な奥方を迎えられていたのですね」
と、三野村利左衛門殿が見知らぬ若者を連れてやって来た。
「この者、忠七郎と申します。後々、三井で目をかけてやろうと思っております」
忙しい利左衛門殿のことだ、大体の察しはついた。
「この者を、正様の元で仕込んでやってはもらえませぬか?」
やはり、そういう事か。
「仕込むと言っても、利左衛門殿はこの者にどの様な仕事を申し付けたいと思っておいでなのです?」
そこが分からねば、どの様に育ててよいかも分からぬ。
「今はまだ何とも言えませんが、アメリカに渡らせ貿易をさせたいと思っております」
なるほど、新政府に一歩距離を置く自分ならば、アメリカに関心を寄せるだろう…と見ての布石か。
「分かりました、この若者をお預りしましょう。…ただ何分新婚なもので、別に居を構えて貰えれば幸いです」
照れながら、こめかみを人差し指で搔いて言うと。
「これは気づきませんで、長屋に一人住まいさせ通わせましょう」
慌てて、若者に言い含めた。
「差し当たり、言語の習得と横浜にいるアメリカ商人との顔繋ぎですかな。先に、アメリカに渡られた佐藤百太郎殿は大分苦労をしているようです」
利左衛門殿が驚き入って、尋ねてきた。
「そのような事まで御存知なのですか?」
それほどの事でもないように、答えた。
「ええ、彼の父は蘭方医でしてな。渡米にもいささか協力しているので。事あるごとに、文が届きますよ」そう答えると。
「やはり、貴方様にお願いするのが一番だ。何卒よしなに願いまする」
と言って、帰って行った。どうやら姓を変えても性分までは変わらぬらしい。坂本殿に振り回され、上野介様に拾われ、今度は若者を預かることになった。世話焼きというのも、案外天職なのかもしれぬ。




