慶応4年(1868年)7月 神奈川県横浜野毛 宿屋双葉 伊達正
楓殿と交渉を交わすこと数刻、宿屋の女中が朝餉を告げに来た声に観念した。おなごとの、この手の話は分が悪い。こちらがいかに理で陣を構築したところで、情という圧倒的物量で根こそぎ流されてしまう。女の情念、石をも穿つ…とは良く言ったものだ、自分の母も逃走させるため命を犠牲にしてくれていた。
そこからは発想を変えることにした。共に住むことは既定路線としながらも、どの様な形が最もお互いの理になるかを。
「分かった、楓殿。共に暮す、それはよい。婚姻に関しては、某が入り婿の方が良いと思うのじゃ」
もはや伊達を名乗る必要性は無い、かえってここ数ヶ月の事を思えば姓を変えることにこそ利点があった。
「よろしいのですか?貴方様のご両親が命を賭して護られた姓を捨てて」
確かに、そう思わないこともないが。
「護りたかったのは姓では無い、むしろ某の命そのものだったはず。ならば、伊達という姓への執着など無用なものだ」
そこに思い至れば、美しく可憐な娘を嫁に出来るのだ…と自分を納得させた。
「それよりも楓殿に弁えていて欲しいのが、私は坂本殿と上野介様との約を決して違えることは出来ないという事だ」
そう、これだけは譲ることが出来ない。
「故にここ横浜に、留まり続けることは無い。むしろこの国にも、居続けることは無いのかもしれない」
そう話すと、楓殿が座り直し居住まいを正され。
「承知しております。決して貴方様の袖に縋って、翻意を促すような真似は致しません」
そう言って、三指をついて頭を下げた。そうしてやっと、朝餉の膳につくことが出来た。
後日、高松藩の藩邸へと赴き、楓殿の叔父である小川甚兵衛殿に挨拶に伺うことが決まった。こうして互いに折り合いをつけ、楓殿を江戸へ送り出すことが出来た。上野介様も幕府の中枢で、このように命を削られる思いで闘っておられたのか…一緒にしてはいかんな。今の自分が背負っているものなど、たかだか二人の命運にしか過ぎぬ。あの頃の上野介様は、この国の命運を背負われていたのだ。文机の上に置かれた書付には、先ほどまで書き慣れていた「伊達正」の文字は無かった。これからは小川正――そう認めた途端、肩の力がふっと抜けてゆく思いがした。




