慶応4年(1868年)6月 陸奥亘理 田村顕允邸 伊達正
もう一つのやっておかねばならぬ事…いや、やらずにいてもよかったのだが、どうも後味が悪い気がしていた。要するに、お節介というやつだ。6月半ば、とうとう会津で戦闘の火蓋が切られた。多分、あそこには新八郎も加わっているのだろう。それを前に、仙台藩が盟主となり『奥羽越列藩同盟』が結成された。…どうにも危うい、矢面に立たされて全ての責任を被るやもしれぬ。
かと言って、関わりを持たぬ。という起請文を提出している自分が、仙台へ行っては約に反する。悩んだ末に、最も列藩同盟に懐疑的な亘理伊達家の家老・田村顕允殿の邸を訪ねている。先の御家騒動擬きの折、同情的な姿勢であったのにも由来している。「先の藩主・伊達斉邦の庶子、伊達正にございます」挨拶をされた田村殿が、こちらを探るように見ている。「で、此度は何用があって当家を訪ねられたのかな?」もっともな事だ、今更何で戻って来た…と思っていような。「去る交渉の折は、格別なるお計らい戴いたご挨拶に」無論、これは社交辞令の挨拶に過ぎぬ。「それだけのため…では無いのでは?」早く用件を言え、と急かされているようだ。「此度の同盟を危ういと見て、ご注進に上がりました。とはいえ、某は仙台藩とは関わりを持たぬ。と、起請文を提出している身故。こうして亘理伊達家をお訪ねいたしました」田村殿も、危ういと見ているのだろう。「どうなると見られておる、いやどう危ういのだ」相当に焦っておられる、矢継ぎ早に問うてこられる。「このままでは会津は陥落ち、仙台藩は矢面に立たされるでしょう。新政府軍の後ろにはエゲレスがいて、補給も万全に整えられています」項垂れて、問われる。「どうすれば、どのようにすれば被害を最小限に留め置ける?」最初から懐疑的だったのだろう。「心情的に手を差し伸べられたのは分かります、であれば会津の陥落をもって降伏の使者を出すのが最善策でしょう。さらに深入りすれば、朝敵としてお取り潰しとなりましょうな」観念したかのように、最後に問われた。「直接、邦成様にご進言なされるか?」静かに首を振り、答えた。「それはなりませぬ。某はすでに仙台とは縁を切った身。今さら口を挟めば、却って人心を乱しましょう」しずかに、続けた。「亘理様は道理の分かるお方。田村殿のお言葉なら耳を傾けられるはずです」田村殿が深く頷いて、礼を述べられた。これで良い、これで伊達家に生まれた恩はかえせた。




