慶応3年(1867年)10月 横浜太田町 日本人長屋 伊達正
恐れていた事態がとうとう京で勃発した、大政奉還だ。上野介様は最後まで、反対なされていたそうだが押し切られてしまった。普通ならば、3・4日しないと伝わってこないような京での出来事が翌日の夕刻には広まっていた。ここ横浜は情勢変化に敏感だ、でなければ商機を逃しかねない故。
自分も三野村利左衛門殿と関わりを持つようになって、相場にて米・油・鉄・鉛などを先物で買い付けていた。上野介様のお役に立てるよう、軍備に繋がる品目を中心に利左衛門殿の紀伊国屋・母の実家である大洲屋名義で大量に押さえていた。米に関しては江戸のみならず、大洲屋を通じて大坂の堂島米会所にも手を打っていた。
皆が一様に一喜一憂する様を横目に、自分には未だ戦へ雪崩れ込む空気が見えておらなんだ。利左衛門殿の元、相場を観察しだしてから大きな出来事が起きる前には相場にも必ず予兆が現れた。だが、今はまだその兆しが現れない。きっと上野介様が、最後の最後まで食い止めに奔走しておられるのだろう。
その思いが募り、駿河台の小栗邸に宛てて手紙をしたためる。〜京での大政奉還、誠に驚き入っており候。ただ、横浜に居り相場を見る限りは急変の予兆は無く、只々上野介様の御心労を慮っており候。もし、某にお申し付けたき儀あれば、何時にても馳せ参じる所存にて候〜と急ぎ書きつけて、馴染みの飛脚に余計の金子を握らせ頼み入った。




