文久2年(1862年)7月 長崎丸山郊外 伊庭新八郎
文政11年(1828年)伊達斉義様が亡くなられた。後継として宇和島伊達家より迎えられたのが、わずか5歳の斉邦様である。斉邦様は斉義様の御息女を正室に迎え、仙台藩主となられた。だが幼くして国を背負わされた御身に、安らげる場などあっただろうか。まして子にも恵まれず、斉義様の御子息の慶邦様を養子として迎え入れた後に子宝に恵まれようとは…。伊予宇和島の大洲屋の娘に子が出来たことは、江戸藩邸の中でも極一部のものにしか知らされていなかった。唯一の寛ぎを見いだすことが出来たのが、故郷の宇和島に縁を持つ娘であったことは決して皮肉などではない。
だが、それは仙台藩にとっては歓迎されるべきことではなかった。いくら貞山公(伊達政宗)のお血筋と言えど宇和島は宇和島、仙台の血脈が途絶えてしまいかねない。仙台家中の強硬派にとって、それは看過できぬ事態であった。宇和島の血が本家を侵す…彼らはそう恐れた。すなわち斉邦様の暗殺、そして一粒種の若君(伊達正)を消し去ること。
危険を察知された斉邦様は私に若を託され、御自分は翌年に脚病としてこの世を去られた。
それから12年なんとか強硬派の目を逃れ、身を隠していたのだが遂に3人の追手に囲まれてしまった。一人は藩邸で見かけたこともある顔だが、あとの二人に見覚えはない。「茂庭新八郎だな」仙台藩士らしき男が問いかけてきた。
「いや、俺には殿より賜った伊庭の姓がある」そうだ若をお預りした時に殿より「伊達の茂庭じゃ、これより伊庭と改め息子のことを頼む」そう仰せられたのだ。
「ならばそれが亡き殿のお子だな…お命頂戴仕る」というなり斬りかかってきた。若を護りながら躱すも、逃げ場を他の二人に塞がれている。己一人だけなら決して遅れは取らぬものを…そこへ浪人とはいでたち異にする男が割って入ってきた。
「何やら事情がありそうだが、小勢に助太刀をいたそう」どう見ても侍、というよりは学者のような男が立っていた。「よいかこれより暫し目を瞑り、顔を上げるな…もし約を違えればお前たちも斬らねばならぬ」と言うとドスッという聞き慣れない音に続いて、斬られた男のうめき声が耳に入ってきた。若を護る為、覆い被さるように抱きかかえていた肩を優しく揺すられて我に還った。
目を開けたそこには物言わぬ躯が3つ転がっていた、…それが若の師となる二宮逸二殿との出会いであった。あたかも黒船の来航で江戸の街が揺れていた折、柳橋の袂で黄昏が闇を孕み始めていた。
その二宮殿が亡くなられたという、明け方に戻られた若はそれ以上何も語られなかった。只「江戸に戻る」と言うせられ、蘭学書を読み耽っている。まるで何かから逃れるかのように…。
出立前日の夜更け過ぎ、若の部屋の明かりに気づき隙間から部屋の様子をうかがうと。二宮殿から頂いた蘭学書を愛おしそうに撫でながら、男泣きする若の姿に「もう何も聞くまい」そう心の中で呟いてそっと襖を閉めたのである。




