文久2年(1862年)7月 長崎丸山 二宮逸二邸 伊達正
「見事だ、もう思い残すことはない」
師・二宮逸二の顔にはもはや、生気が失われつつあった。
「出来うるならば、この暗殺剣はそなたの手で終わらせてほしい」
師は自らが作り上げた剣術がこれ以上、人に継がれてゆくことを望んではいない。
『蛮社の獄』
蘭学者や画人などが幕府の政策を批判、その者達を獄に繋いだ一連の騒動。師はその折に獄に繋がれ脱走した高野長英の弟子であった。長英を匿い、逃がすため。自身も不穏分子として追われる身となった。その逃亡の中で編み出されたのが、この剣である。決して突出した才がある訳ではない師が、追手から逃れる為に選んだのは一撃必殺の初見殺しだった。蘭学者…いや蘭方医として、人体の構造の特徴を突いて一時的に動きを奪い止めを刺す。ある時は鳩尾に分銅を飛ばし呼吸を奪い、ある時は心の臓に分銅で衝撃を加え動きを奪う。その出来た隙で確実に命を刈り取る…命の遣り取りが日常茶飯であった戦国の世ならまだしも、平穏な世に生を受けた師にとってそれは耐え難いものであった。ましてや命を救うべく目指した蘭学を、命を奪う為に流用してまで生に執着することは師を確実に蝕んでいった。夜な夜な手にかけた者の顔が浮かび、玉のような汗で飛び起きるようなことが繰り返された。そして今日、その全てを自分に授け封印を任せ死出の床についたのである。
『暗殺剣』
一撃必殺の初見殺し、故に見た者には確実に死を齎さなければならない…でなければ暗殺剣としての用をなさない。一子相伝、暗殺剣を知る者はこの世に一人のみ例えそれが師であろうとも…。継承の最後の試練…それは師に悟られず技を繰り出し仕止めること、それこそが真の継承であった。
今、徐々に冷えてゆく師の顔はどことなく全てから解放されて安らぎすら感じさせるものだった。間もなく普段から師の世話を焼いているお喜世が訪れるだろう。そして冷たくなった師を仰ぎ見て騒ぎになるはずだ、その前にここから離れなけばならない。
…後日、その死は幕府隠密による暗殺であったのでは?いや、突発的な病では?などの奇っ怪な噂が囁かれることになった。だが誰一人として心臓めがけて穿たれた、針で刺したかのような傷が致命傷だとは思わなかった、もちろん本場長崎の蘭方医をもってしても…。
伊達正が師から授かったのは暗殺剣だけではなかった、暗殺剣に付随するものだが人体の構造を理解する為の蘭方医としての医学。その蘭学を解する為の蘭語の知識、阿蘭陀で普及している制度及び政治体制。さらには今阿蘭陀が置かれている立ち位置とヨーロッパ諸国との関係から、幕府との関係を密にしだしてからの歴史的経緯などにも及んでいた。それを12歳から今日までの10年間に叩き込まれてきたのである、おかげで蘭語での日常会話程度の意思疎通は勿論のこと読み書きも一通り出来るまでに成長していた。




