慶応元年(1865年)7月 横浜・横須賀 伊達正
横浜に降り立って、真っ先に感じたのは街の熱気だった。長崎を知る自分にとって、同じく異国に開かれた港でありながら、その空気はまるで異なっていた。長崎には異国情緒こそあれ、あくまで日本の内にある異国でしかない。だが横浜は違う。ここは本当に異国ではないのか――そう錯覚させるほどの喧騒と熱気が渦巻いていた。
「上野介様、ここは数年前までは寒村であったと聞いておりましたが……」
そうだ。自分が長崎へ向かった頃、このような港はまだ存在していなかった。
「そうじゃ。黒船来航の折、江戸に近い港を開けよと迫られてな。その結果、急ごしらえで造られたのがこの横浜よ」
此度この横浜まで赴いたのは、先日着任した技師レオンス・ヴェルニー殿を伴っての、横須賀視察のためである。最初こそ、ヴェルニー殿自らたどたどしい日本語で挨拶されたが、その後は公的な通訳を介しての会話となった。蘭語はまだ文字と発音が結びついていた。だが仏語は違う。綴りと発音がまるで噛み合わぬ。やはり上野介様の判断は正しかった。
船に揺られること二刻半余り、陸路をゆけばこの倍以上はかかる。降り立った先は、畑と漁村が寄り添う寒村に過ぎなかった。波は穏やかだが、渡って来る風は強烈な潮の匂いに満ちていた。「この地を横浜と同じように、変えてゆくのですね」自分の問いに、やんわりと違う見方を申された。「ここは製鉄所、果ては造船所として機能を有する地じゃ。横浜はあくまでも商業地、街の様相は異なるものになろう」自分には寒村にしか見えぬこの地に、上野介様はすでに未来を見ておられるのだ。いずれはこの地に宿舎なども建てられようが、今はまだ寂れた村。ここに留まる訳にもいかず、横浜へと引返す。
横浜の港に戻ったのは、なんとか陽がかろうじて残る刻限だった。港にはこの地に来て間もない夫を案じたのか、ヴェルニー殿の細君が待ちわびておられた。夫を見つけ、駆け寄って抱きつく様が少しも可怪しく映らない。そんな雰囲気が横浜の黄昏時の埠頭にはあった。やはり、長崎とは違うのだと改めて思わされた。そんな熱気や活気の中へ、時代は足取りを早めていた。




