明治20年(1887年)6月 長崎県長崎市飽の浦 長崎造船所 杉沢又四郎
この年の6月7日に、長崎造船所は正式に三菱に払い下げられた。この間、政府関係者や海軍の関係者とも関わりを深めていた。これは三菱という会社に深く関わる以上、避けて通れない道でもある。我が師である正様の思惑とは、かけ離れていることも承知している。それでも、長崎造船所を三菱に属させ喜びに沸く社員達を見れば、自分の成したことに後悔など無かった。
ここ最近、全国的に相場の動向を注視している、鈴木東一郎殿とやり取りをすることが増えていた。彼を通して、ダスティ商会の様子を報せてもらってもいる。それによれば、2月に正様のみがアメリカより帰国し、忠七殿はそのまま欧州へと向かわれたという。また忠七殿に先を越されてしまったのか…という思いに、初めて自分の中で『敵』として認識していたことに愕然とした。同じ師を戴く、同じ商会の仲間だったはずなのに。その思いに、自分が酷くちっぽけな人間のように思えて、ただただ恥ずかしさに身悶えるしか無かった。
何とか冷静さを取り戻し、分析をすると。正様は世界各地を結んで、人材によって経済を金融を動かすことを視野に入れられたのではないか。それ故の新興であるアメリカであり、その拠点を結ぶ欧州ではないのか。そう考えて此度の忠七殿の欧州行きを充て嵌めると、今後の動きが朧気に見えてくる。欧州各地に人材を確保し、そこから上げられる情報を元に投資し、利益を上げていく。流石は我が師だ、と感心せずにはいられなかった。
ただ、そこには自分が見落としている何があるようにも感じていた。利益を誘導して、己が元に吸い上げるだけに動く方だろうか。もっと大きな理念や思想があるのではないか。それを思う度に、もっと正様の元で学べていれば。という思いが、自分の中で大きくなっていく。戻りたい…でも戻れない、それが何時しか自分を壊してしまうようで、言いしれない恐怖に苛まれていた。




