明治20年(1887年)2月 東京府深川区釜屋堀 東京人造肥料会社 小川正宗
正義を乳母のお佳代に預け、深川にやって来ていた。父が出立前に引き合わせた、高峰譲吉殿と益田孝殿・渋沢栄一殿が東京人造肥料会社を立ち上げた。我が商会も表に立たぬ程度の出資に留めて、有珠の伊達邦成様が立ち上げた永年社へ融資して、株式を保有することを差配されていた。父の計画では、ここで造られた肥料を配当代わりに永年社の構成員に配ることを目的として、田村顕允殿と話を付けられているようだ。自分はその仲立をするようにと、父から仰せ遣っている。ただ、設立が発表されたまでで、肥料を製造する機械の買い付けには父が帰って来る3月に出発する予定であるとのことだ。
父は自分には東京人造肥料会社の件を任せ、林蔵殿には静岡の製茶を見学するよう指示されていた。元々、狭山で製茶に携わっていた林蔵殿に、違った場所での製茶を見させ、その土地の人々を観察させようとの事らしい。林蔵殿は今年は宇治にも足を伸ばし、現地の様子を観察されるらしい。
東一郎殿には、横浜だけでなく東京・大阪の相場を観察し、投資することを申し付けられているとのこと。日々、両方の地から電信で届く相場表を見ては動きによって投資先を見極めている。東京・大阪の相場を見ている関係で、最近は杉沢又四郎殿と連絡を取り合うことが増えているようだ。三菱に付きっきりの又四郎殿とは、殆ど面識は無いのだが同じダスティ商会の一員として一度どこかで会っておく必要はあるだろう。
間もなく父が帰って来る。正義のことをどのように伝えるべきか、迷っていた。勿論、真実を語ることは出来ない。だからと言って、どう説明すればよいのか。国子様のお世話をしていた娘に産ませた子――というのが、今のところ一番しっくりくる。国子様の元を訪れるたび逢瀬を重ね、その娘が身籠った。出産の折に母親は亡くなり、残された子を自分が引き取った。国子様と自分と静で考えた、三人だけの物語だ。だが、父は何事にも鋭い。これだけで納得してくれるだろうか。何より、正義の顔を見た瞬間に何かを感じ取られはしないか。それだけが怖かった。




